新時代台湾人とは何か

2005年3月13日

●まえがき

  台湾民主化の間断なき進捗にともない、そして国際舞台への真摯な挑戦が台湾人民をして生命共同体の意識をより一層確かなものにならしめたのである。しかし、一九九六年に芽生えた主流民意に続き、本土政権が二○○○年そして2004年の総統直接選挙を勝ち得たものの、立法院では朝小野大の局面を免れないでいる。こうした政治情勢は、台湾のさらなる発展に新たな課題を投げかけていることは否めない事実なのだ。したがって、民主化の内戦時代を迎えている今こそ、このような内部矛盾をクリアできる「新時代台湾人」という理念の提起が何よりの急務である。

  一九九八年の台湾終戦記念日の前夜に、登輝は、子々孫々の明るい未来のために、負けじ魂の発揮と困苦に打ち勝とうという、台湾固有の精神への再認識並びに強化を、「新台湾人」の使命として掲げたのである。実は、それ以前から、登輝は、「新台湾人」というコンセプトをつねに思いめぐらし、かつ自分の治国思想の中心に据えてきた。と同時に登輝に国民党からの離脱を決定づけさせたのも、この考え方であった。

  歴史は往々にして一直線に進むものではない。二○○○年の政権交代の以前、すでに新台湾人主義の後退を余儀なくされた。というのは、選挙のときに「新台湾人」をスローガンに掲げた人たちは、行動をおこすどころか当選するや否や台湾意識もそっちのけにしてしまった。政権交代後も朝野を挙げて死闘に明け暮れるという両極化の様相を呈するなか、新台湾人主義がきれいさっぱり消えてしまったのである。しかし、歴史の流れというのは、洪水にのまれながらも、合理的な客観性に合致するものであれば、必ずや時代の新しい潮流に乗って復活するものなのだ。

  国内外環境の激変をへて、政治屋にも散々弄ばれてきた「新台湾人」のコンセプトが、果たして政権交代後の民主化ニーズを満たすことができないために、新しい模索が始まろうとしている。つまり、さらなる意識の革新により、台湾の新時代に新方向を導き出さなければならない。だから、ここに、「新時代台湾人」のコンセプトの提起を試みるものである。

●生命共同体の絆の強化

  大統領直接選挙登場前の一九九五年に、つまり、新しい民主時代の幕開きを前に、登輝は、地域社会を中心とした共同体のコンセプトを下記のとおり提起したのである。

  「今日、われわれは、封建主義もしくは地方主義に基づくものでなく、現代化、民主化、そして公民社会の意識を具えた、地域社会を中心とした共同体を構築しなければならない。このような地域社会を中心とした共同体の成立が、民主政治と地方自治の前提を完備させることになる。さもなければ、われわれの政治改革は選挙活動や投票行為という形式的な民主に終始し、民主社会の実質的な発展に繋がらない。」

  民主新時代が抱える問題は、民主的なプロセスによって解決しなくてはならない。台湾でも、民主的なプロセスをもってはじめて、いわゆる「族の対立」問題を徹底的に解決できると思われる。まさに「新時代台湾人」のコンセプトの提起は、いままでの台湾経験から導き出された結論であり、台湾の未来に明確な方向づけを与えようと試みるものである。

  一九八七年の戒厳令の解除をはじめに、一九八八年の蒋家政権の終焉、1991年の「動員勘乱時期臨時条款」の廃止、一九九一年の国大における全面的な改選、1992年の立法院における全面的な改選、そして一九九六年の大統領直接選挙の初登場へと、まるで終止符のない楽章のごとく改革のリズム感も軽快であった。こうした民主化のおかげで、旧時代の政治構造にもたらされた台湾社会に潜んでいた「族の対立」問題は、日に日に氷解する感じがするにいたった。この時期に、つまり1992年末に、「生命共同体」の理念が、「省籍のいがみ合い」或いは「族の対立」という問題を和らげるために、正式に提起されたのである。

  一九九三年四月に、登輝は、「これが歴史の新しい始まりだ」をタイトルに下記のように宣言したのである。「今日、2千3百万人の同胞がここ台湾に新しい生命共同体を樹立できた」。続いて5月に「生命共同体」のコンセプトを中心理念に据えたことを、就任3周年記念の記者会見に発表したのである。そして、何ヵ月後の国民党十四全大会でも、登輝は、「今日、われわれが台湾で達成できた社会改革と心理建設は、何千年来の封建思想並びに社会体制を打破したものであり、歴史の新しい始まりだと言っても過言ではない」。つまり、省籍や出身地の違いを超え、一致団結して生命共同体の絆の強化に力を合わせようと呼びかけたのである。

  これらの政治的な呼びかけは、実は社会の現実を映し出す一面の鏡でもある。近年の世論調査によれば、自分は台湾人だと自覚した人たちとともに、出身地の違いにかかわらず生きる場としての台湾への帰属意識を否認しない人たちもますます増えているという。実は、現在の中国でも、全ての台湾人民を「台胞」とみなす一方、進出してきた全ての台湾企業である「台商」を、省籍や出身地の違いを問わず、法律的に同等に扱っているのが実情である。

  ここに注意すべき点は、「台胞」か「台商」として中国への観光や親族訪問、或いは投資をしてきた人たちが、中国の現状をじかに見るや否や、かつての中国への幻想を捨ててしまい、台湾こそ自分の真のよりどころだといまさら再認識させられたというのだ。

  結局のところ、台湾の地に腰を据え、着実に生きてきた台湾人民にとっては、長い歴史に育まれてきた「台湾意識」に帰着するのが呼吸のような自然の理といえよう。

●台湾意識へ帰着の歴史的必然性

  台湾海峡の表面に漂っていた和解ムードが中国の野望露見により一瞬にして怪しい雲行きとなったことは改めて言うまでもない。1995年の半ばから1996年3月までの間、中国は、台湾人民の意向もお構いなしに、登輝の米国そして母校への訪問やわが国の初の総統直接選挙に嫌がらせをするために、ミサイル発射と大砲の実弾演習を敢行し、区域内の緊張を最大限に起こしたことがまだ記憶に新しいところである。その後、二○○○年そして二○○四年の選挙の際にも、中国の硬軟手段を併せ持つありとあらゆる脅迫にめげずに、台湾人民は台湾意識の優先と堅持を守り通してきた。以上の事実が、台湾人民をして確かに中国とは一線を画するべきで、安楽に暮らせる台湾の地に生命共同体を築く以外に道はないと悟らせたのであろう。果たして瞬く間に台湾意識が台頭し、中国からの差別を強く意識せざるをえなくなったことは、偶然というより必然の結果なのである。

  この間から中国は経済利益を餌に「多数の台湾人民に期待を寄せて」という統一戦争を台湾に仕掛けたが、台湾人民は経済利益の誘惑に負けることなく国家主権を堅持し、今日に至っている。確かに当初は文化交流や企業投資を通して、台湾人民の大中華民族主義への目覚めを喚起しようと努めてきた。江沢民や温家宝などの中国のリーダーたちもたびたび温情に満ちた民族主義的な呼びかけを試みてきたにもかかわらず、功を奏するまでには至らない。

  しかし、二○○○年以後の対中積極投資政策への転換をはじめ、二○○五年の春節チャーター機の直航便開設などによって、一気に全面的な三通直航を実現させてしまおうという機運が高い。そうなれば、台湾意識に何らかの影響を与えることが必至であり、われわれへの新しい試練でもあると言わざるをえない。

  実は、上記の客観情勢の変化に鑑みて「新時代台湾人」理論を思索し、提起するに至ったのである。

  移民社会の台湾は、現在とは性質の異なる「族の対立」という矛盾を過去にも抱えていた。いわゆろ「原漢の対立」「漳泉の械闘」「閩客の紛争」そして「同族の内ゲバ」などなど、まさに初期の移民社会における資源争奪戦を垣間見る思いではあるまいか。続いて日本の植民統治時代が始まるや否や、上記に代表さる出身地の違いによる身分の差別に取って代わったのは、「外来」と「先住」の関係というか、「統治側」と「被統治側」の対立関係である。つまり、外来政権の誕生だ。この外来政権問題は、第二次大戦の終結を迎えた1945年まで続いている。

  一九四七年に至っては、とうとう228事件が発生し、「省籍問題」そして「族の対立」をもたらした。この新しい形の矛盾が長期にわたって台湾社会の融和と団結を蝕む結果となった。しかし、60数年来の婚姻関係や交友関係、仕事関係を通じてか、政治改革による民主化のおかげで、相互の和解ムードが漂い、問題の解決に光が見えてきた。

  残念なことに、白熱した選挙や政局の激変があるたびに、異常な民主政治操作で「省籍問題」そして「族の対立」という敏感な神経は再三触れられ、ぴりぴりするのが実情である。特に族の集中地域に対し族の団結を訴える、つまり、新問題の解決に前近代的な手法を悪用すると政党連中が後を絶たない。現在のところ、幸いにこの政治的な雰囲気を操縦できるのは大都会だけで、普遍的な社会現象に至らなかったのである。

  もちろん、こうした現象は、族の対立を醸成したり、敵か味方かという悪戦苦闘をもたらしたり、台湾意識の形成に少なからず障碍をきたしている。例えば、統一か独立かの両陣営の極論をはじめ、対中政策並びに外交政策の揺れなどがその延長線にあることは明らかである。

  以上の論戦は、台湾の前途にとって「百害あって一利なし」と言わざるをえない。対岸の中国も、台湾の内部分岐に対しそれぞれ色調の違いがあっても本質的に同じ穴の貉だと見ている。独立への主張にはいろんな言い方があっても所詮独立だ。「中華民国の堅持」も実は独立の一形態にすぎない。

  「新時代台湾人」なら、まず最初に、台湾は中国と別々であり、中国の属国ではない事実をはっきり認識しなくてはならない。そして、中国と統一に関する対話をすべきではない。むしろ、主権在民と民族自決の民主原則にもとづき、台湾意識の力を正名運動や新憲法制定に向かわせ、台湾の新時代を切り開いていくべきである。いままでは、中華民国、中華民国在台湾、そして台湾中華民国と、手を替え品を替え努力してきたのも、最終的に台湾を正常な国家に導くためであった。実は、以上のような台湾意識の理念にもとづく行動志向は、台湾の国家正常化のバロメーターなのだ。

  台湾意識は、口先だけの政治現実による妥協にあらず、経験と精神の結合による産物である。つまり、長い歴史のなか、台湾人民の共生に育まれつつ、近年の公民意識、コミュニティ意識と結晶し遂に「台湾生命共同体意識」が誕生したのである。以上の民主改革過程のなか、われわれは、従来の硬直化した歴史認識を改めさせるべく、民主精神にもとづくコミュニティの構築を積極的に進めてきた。というのは、公民意識とコミュニティ意識を中心の核に据え、伝統的な地縁や血縁関係を打破したり、民主的な公共理念を植え付けることにより、社会改造を図り、共存共栄の新社会を構築する以外に方法はない。また、この基本的な最小規模のコミュニティに照準を合わせるよりほかに主権在民の理念を徹底的に実現させる近道もないからである。

●自由意志を尊重する民主社会

  民主化のプロセスは、ドイツのヘーゲルによれば、独裁統治から、少数統治、そして民主社会への三段階があるという。政治改革の歴史的意義の所在は、民主制度の形式ばかりにこだわることではなく、個人の自由意志を尊重する民主社会の樹立にある。台湾には確かに自由経済と民主政治が確立したが、さらに社会の改造に着手し、特に社会の底辺に、主権在民の理念を貫徹させなくてはならない。と同時に、もし代議制に不足があれば、直接民主方式で補う必要があろう。

  新時代の国家意識と社会意識は表裏一体をなし、健全な社会があってはじめて正常な国家が成立すると確信している。つまり、社会は抽象的な名詞ではなく、実体のある公民の結合によって組織された共同体でなければならない。

  だから、二千三百万に上る台湾人民は、個人の自由意志を尊重し合える民主社会の樹立に努めなくてはならないし、共同に組織されたコミュニティに溶け込まなくてはならない。そうなれば、新時代の公民意識やコミュニティ意識が、縄張や対立に固執する消極かつ保守的な省籍意識に取って代わる日がやってくるに違いない。民主方式とは、台湾団結のキーワードなのだ。

  したがって、台湾での方式は、中国の一党専制や独裁開発などの手法と大いに異なることは言うまでもない。民主台湾は、民主陣営がアジアでの自由民主の拡大を図るのに一番相応しい橋頭堡かもしれない。民主台湾の建設は、台湾自身にとって最高なアジア的知略となろう。

  台湾にとっては、個人の自由意志の尊重と底辺の民主化から着手し、そして民主社会を完成させることが、台湾生命共同体を集権主義や集団主義から守る唯一の免疫療法にほかならない。そして、個人への肯定を開始し、自由意志を尊重するような個人を集めてはじめて、生命共同体を理念とする自由民主社会が出来上がってくる。ドイツの社会学者ソンバートは下記のようにこの有機的な集合体を強調している。

  「集まった個々の人は、全体のみならず、それ自身のためにもある。つまり、自分自身の存在のために、また相互依存のために集合体となっていくのだ」。

  「新時代台湾人」とは、性質的には過去の地縁や血縁の分類をはるかに超え、民主政治の精神を取り込んだコンセプトである。台湾人民の相互依存の本質を喝破し、二千三百万に上る台湾人民に台湾意識を呼び覚ます建設的な理念でもある。

  したがって、民主精神で深層に潜んだ社会矛盾の難問を解き明かし、「新時代台湾人」が健康な土壌に根を下ろし、たくましく成長することにより、個人の自由意志を尊重する社会が出来上がり、台湾に成熟したデモクラシーが根付くことを請け負うものである。

●台湾は中国の一部という虚構

  「大台湾の経営」への実践行動は、「新時代台湾人」にとってはダイナミックな歴史任務となり、また祖先に続き台湾に新天地を切り拓くという使命を全うするものである。まず最初に、台湾は辺境という過去の認知を改め、地図の中心に据え、世界を眺めるようにすべきである。言い換えれば、台湾は属国という他人の勝手な設定から脱却し、台湾主体性への自我肯定を早く確立させなければならない。

  台湾は新しい文化の形成に着手しなくてはならない。近代世界史を紐解いてみると、台湾は世界交通の要衝に位置し、それがために外来政権の侵犯を再三再四受けてきたことがわかる。また東西の接点として、そして大陸と海洋の交流の橋渡しとしての役割も果たしてきた。と同時に民主と封建の激闘の洗礼をまともに受けてきたのである。そのおかげで、台湾は、近代化への歩みを早めることができ、かつ多元的な文化を生み出してきた。

  われわれは、抽象的な主観的思考で、台湾の未来に対処してはならない。客観的な理性を守って「新時代台湾人」の理念を構築すべきである。「中華民国」という名の台湾は、歴史の発展にともない、否応なしに形づくらた特定な場所であり、われわれにとって運命的に掛け替えのない生存の場でもある。この点に関しても、台湾人は悲しいことに、かつて一度も台湾を治めたことのない中華人民共和国までに、中華民族という幻想をかざされ、大中華民族主義的覇権を唱えられているのが現状である。これは、歴史記述の掛け違いに導き出された、欺瞞に満ちた結論なのだ。

  一六二四年 オランダは南台湾の一部を占領する。

  一六二六年 スペインは北台湾の一部を占領する。

  一六四二年 オランダはスペインに打ち勝ち、台湾の唯一の統治者となる。

  一六六二年 明朝滅亡のため、鄭成功集団が反清復明をスローガンにオランダを台湾から追い出す。

  一六八四年 シベリアから、モンゴル、中亜、ウイグル、チベットまでに跨る清国は、1644年に中国そして一六八四年に台湾を併呑する。当時は、台湾も中国も清国の一部である。

  一八九五年 清国は台湾を日本に割譲、台湾は日本の一部となる。

  一九四五年 日本は盟軍に投降する。盟軍から受託された国民党軍隊が台湾に進駐する。これは委託軍事占領に該当する。

  一九五一年サンフランシスコ対日講和条約に署名する。1952年に条約の発効にともない、日本は台湾及澎湖列島の主権を放棄するが、台湾主権の帰属が未決である。

  「台湾主権が未定」のまま、今日に至っている。

  歴史上、一六八四年から一八九五年までの二百年間、台湾は中国とともに清国の一部であったが、その後、別れ別れになっている。これを理由に「台湾は中国の一部」ひいては「台湾は中華人民 共和国の一部」とするなら、かつては台湾を領有したオランダやスペイン、日本の方にも「台湾は古来オランダに属する」「台湾は古来スペインに属する」そして「台湾は古来日本に属する」と宣言できるのではなかろうか。中国の論法は、まさにとんでもない仮定にもとづく、ばかげた考えにほかならない。

  よって、「両国論」そして「一辺一国」は自ずから明らかになる。

●サイレント・レボルーションなる新民主の道を行く

  いままでに中国に領有されたことのない台湾は、中国の大中華民族主義に抵抗するために新たなる民族論法を別途用意しなければならないのか?

  答えはノーである。民主主義が世界の潮流となり、台湾は民主改革をへて民主国家に仲間入りしている今日、「民族国家」への建国道路に逆戻らなければならない理由はひとつもない。ここ十数年来、特権時代にもたらされた諸問題の多くは、民主的な「サイレント・レボルーション」で解決されてきた。民主的な「サイレント・レボルーション」とは、かつての脱殖民地化のための「台湾民族運動」の論法に勝るとも劣らないし、台湾歴史の建設的な進展に合致するものである。

  簡単に言えば、台湾人民の共同体意識は、民族でなく民主にもとづいたものでなければならない。というのは、「台湾民族主義」を持って「中華民族主義」に対抗するなら、力の差が歴然である。。しかし、「民主台湾」と「封建中国」の対抗なら、小国VS大国という無力の図式が当てはまらなくなるはずだ。

  「新時代台湾人」のコンセプトは、「民族運動」或いは「民族国家運動」と趣を異に、民主社会に属する公民意識を持った国民を指すものである。民主が高度に成熟した米国では、「米国民族」を云々することは聞かない。今日の台湾でも、いまさら「台湾民族」をかざす必要もない。ましてや中華人民共和国の「大中華民族主義」に踊らされることもない。むしろ、「米国人」と同様に「新時代台湾人」は、民主、自由、多元、開放的な社会を構成し、自由結合状態を保ちながら、民主を理念に共生する人たちを指す有機的な集合体である。偶然的に地縁や血縁を頼りに集まった人々ではない。つまり、「新時代台湾人」のキーワードは、民主制度だ。

  「新時代台湾人」に地縁や血縁という要素を溶け込ませ、かつ社会に実践を移すことにより、台湾歴史の真実を顧みることは何よりも大事である。

  したがって、台湾の歴史過程に起こった、被殖民経験を含めた、いろんな出来事と主謀者に対し、強い批判を加えるながら、悲しみを超越し、心を許す時もある。なぜなら、それらも今日の台湾を構成する要素であることは、厳然たる事実である。もし、全面的に否定したり、或いは曲解したりするだけなら、台湾を主体に歴史全般を掌握することができないばかりか、われわれの構築した理念も所詮「砂上の楼閣」である。

  なお、下記の記述は、台湾歴史に遺された足跡であり、台湾の未来を導き出す手立てになるかもしれない。「新時代台湾人」としては、頭に入れてほしいものだ。

  「一六二六年から一六六二年までの間、オランダは、台湾にたくさんのものを遺す」

  「清国の劉銘伝は、台湾建設に多大の手柄を立てる」

  「日本統治時代は、第4期か第五期の総督になってはじめて、台湾の開発に着手する」

  「一九五○年以後、台湾は、米国の援助を受け、新段階の発展を迎える」

●さらばよ、見捨てられた漂流者意識

  「新時代台湾人」とは、「台湾民族」と違って、政治人種学の煩雑な分類に新品種を加えるために考えたものではない。現実に台湾で暮らし、自覚的に精神改革、意識革命、そして思想転換に従事する、二千三百万の人々を指す、代名詞なのである。

  登輝は、かねてより「人間改革」の重要性に気がつき、第51回台湾終戦記念日の際、「精神改革プロジェクト」を特別に提示した。つまり、「人間」を起点に、教育改革、社会改造、行政改革、文化向上などを行い、社会構造の健全化をはかり、社会正義と倫理を再建することに努め、和気藹々かつ思いやりのある社会の復活を最終目標とした企画である。「新時代台湾人」には欠かせない「この土地への責任感や共存共栄の連帯感を、国民の内心に植えつける」やり方である。

  聖書のガラテヤ書とコリント後書で、パウロは、次のように話された。「私はキリストとともに十字架につけられた。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのだ」。そして「どんな人でもそのキリストを受け入れる時に彼は新しく作られる。旧いことは過ぎ、全ては新しくなるのだ」。つまり、新しい社会が出来上がれば、新しい人間も生まれてくるというわけである。

  「新時代台湾人」としては、歴史の真実を突き止めることにより、現在を正確に把握することができ、そして信念を持って未来に向かって進むべきである。到着順なんて台湾人か否かの判別基準ではない。台湾という地に愛着のある人、台湾を優先できる人、そして民主に価値を認める人こそが「新時代台湾人」に相応しい定義なのである。

  上記の論法は、台湾人民を偶然の集合体とみなし、非理性的条件から理性的結果を導き出そうとするものではない。つまり、原住民たちも、明清時代に渡来した閩客移民たちも、1949年前後にやってきた軍隊と平民たちも、主観的理性で生活目標を立てて、ここに理想な新天地を築こうとした。みんなは、少なくとも自由意志の追求という共通項を持っている。さらにそれが溶け合って徐々に台湾意識を形成していったのである。

  哲学者の中村雄二郎によれば、もし、われわれが、過去或いは自然条件に束縛された生活方式から脱却し、実存的に生きることができれば、自由に「己」を選択したり、自由に「対象」に意味をもたせたり、そして知覚を持って自由に世界を選ぶことができるという。

  「新時代台湾人」よ、見捨てられた漂流者意識を超えて、自我の主観的な能動性を肯定しようではないか。

●汚名をそそぎ、人格の復元を

  自由意志や公民意識を具えた、人々からなる「新時代台湾人」の理念には、人口に占める割合で主従関係を云々する必要はない。現在、台湾で暮らしている2千3百万人は、主に閩南人、外省人、客家人、原住民の四種類からなるが、人口の多い族を主に「台湾民族」を構成しようというつもりもない。むしろ、全員を公民として平等に扱おうというコンセプトだ。なぜなら、それぞれの背景も経験も違えば、多元的にぶつかり合うことにより、増幅される強靭な連帯感が、「新時代台湾人」という理念をして、奥行きのある、生気がみなぎる、豊かなものにならしめるに違いない。これこそは、台湾の未来にとっての無限な可能性の根源なのだ。

  一九九六年末の総統選挙後に「国家発展会議」が招集され、「精省」、つまり、「省の廃止」問題は、協議のうえ朝野政党の一致によって可決された。翌年七月、省の自治選挙凍結案も、憲法改正のうえ国大によって可決された。一九九八年末、遂に「台湾省政府の功能業務並びに組織に関する調整暫定条例」も立法院によって可決された。この「政府の改造プロジェクト」は、中国のいわゆる「台湾は中国の省の一つ」という虚構を突き破り、台湾の主体性を前面に押し出すことに役立ったのである。

  「精省」に対し本位主義にもとづく反発があって、賛成・反対に分かれ、議論を重ねたが、そのプロセスにおいて、より多くの人々にこのプロジェクトの持つ歴史的意義を考えさせ、より多くの人々が台湾の主体性に目覚める結果となったことは改めて言うまでもない。台湾は台湾だ。台湾省とは、自己満足というか見せかけにすぎないのだ。

  虚構を突き破り、真実や現実をもとに戻すことにより、自分の置かれた場所は、はっきりと見えてくるはずである。そして、真実は一つだけであり、つまり、台湾は台湾、それ以外の何ものでもないのだ。

  台湾意識は、移民社会にとって、もはや無力な防備ではなく、具体的な生活経験に育まれてきた郷土意識となり、われわれに責任感と創造力をもたらし、明るい未来を与えてくれる宝物である。

  「新時代台湾人」の理念には、もう一つの厳粛な「汚名をそそぐ」という側面がある。過去の政治手法は、原住民とその文化の持つ価値を主観的に歪めたり、実存のない「汚名」を原住民全体に着せたりしてきたのである。一九九四年に「山地同胞」といういままでの公式用語を「原住民」に改めたのに続き、「原住民」ということばを憲法にも書き入れ、明文化としたのである。すでに姿を消して久しい「平埔族」ではあるが、歴史考証をへて、その面影がはっきりと見えてくるという。つまり、過去にはすでに「族の融和」があったのに、すっかり忘れ去られた、その真実に目を向けなくてはならない。この復元工事に教えられたのは、背景の違いを超えて、互いに助け合い、調和を図ることにより、豊かな多元的民主社会を構築することの大切さである。これができてこそ、台湾なのだ。

  現在の台湾には、もう一つ重要視すべきテーマがある。つまり、「本省」VS「外省」という対立問題である。その原因を突き止めていくと、およそ二二八事件に突き当たる。従来、この論法には、二二八事件という歴史悲劇の責任を、全ての外省人に擦り付けた嫌いがある。もちろん、これは、数十年来の特権時代に、外省人たちが権力の中枢を独占してきたことと無関係ではない。たとえ、ここ十数年来の民主化をへてきても、いまだにこうした偏見の面影がちらついているのである。

  歴史の傷口は、いつか癒さなくてはならない。登輝は、二二八事件の被害者でありながら、政府を代表して全国民に謝罪するとともに、歴史教訓を胸に刻みながら、寛容の愛で悲しみを拭い去り、そして互いの信頼の回復を呼びかけた。

  二二八記念碑は、悲しみに満ちた「嘆きの壁」ではない。われわれにとって、社会再建や人格復元の出発点である。あたかも警鐘のように、時には悲しみを乗り越え、互いに助け合わねければと気づかせてくれるし、また手を携えて新時代の台湾を経営することにより、生命共同体を築くことの大切さを教えてくれる、貴重な存在である。多族的共同運命体は、新時代の台湾のキーワードなのだ。

  「本省人」は中国から追い出された「外省人」の生存焦燥感に同情を寄せる代わりに、「外省人」は「本省人」の持つ歴史の荷物である主体意識に理解を示さなければならない。

  このような健全なる人間関係に立てれれば、台湾の発展過程における到着順にかかわらず、台湾の歴史舞台に同等な地位を占めることに誰も異存はなくなるはずである。歴史上の被殖民経験にもこのような対応が必要であろう。

●移民と植民がもたらすもの

  実は、台湾の歴史とは、移民と植民の入れ替り立ち替わりの物語である。

  台湾は大海に浮かぶ孤島であるが、南方系原住民たちは古くから住み着き、いにしえの文化を形成してきた。明清時代に及んで、沿海の人々も続々と台湾に入植し、台湾の発展史に新しいページを飾った。そして、1949年前後、百万人に上る軍隊と平民が台湾に入ってきたおかげで、台湾に貴重な新しい血が注がれたことになる。

  他方、3百年来、スペインをはじめ、オランダ、鄭氏、清国、そして日本の占領をへて、台湾は多元化を遂げながら、世界に向かって歩み始めている。スペインとオランダの統治下、台湾はすでに大航海時代を迎えている。半世紀にわたる日本統治時代、台湾は間接的に西欧文明を取り入れることができた。そのおかげで、台湾は常に中国に先行し、20世紀の世界文明の恩恵にあずかることになる。最近の半世紀も、台湾は西洋の民主世界と密接な関係にあるがために、西欧の薫陶を直接的に受けることができた。各地からの移民にとって、被植民経験は決していいものではないが、包容力と活力を与えられたおかげで、現代世界に目を向けることができたのである。

  とうとう台湾という「世界島」が実現した。

●異国はもはや古里だ

  今日、台湾の地に暮らし、共存共栄を分かち合っているわれわれは、「新時代台湾人」という歴史的な要請に答え、台湾の未来に責任を持たなければならない。つまり、台湾の過去の一切の義務を継承し、台湾の前途をともに切り開いて行く責任を負わなくてはならない。そして、台湾により大きな生存空間をこさえてあげるのは、地縁や血縁関係を超えた「新時代台湾人」に課された使命である。

  台湾の半世紀にわたる経済奇跡と政治革新は、第一段階の台湾経験をもたらした。特に十数年来の民主改革は、残されてきた歴史課題の多くも片付けてきた。現在、われわれは、しっかりとした歩調でより一層の民主化と国家並びに社会基礎の大きな転換を図りながら、第二段階の台湾経験を積み上げているところである。

  全台湾人民にとって、台湾はすでに異国から古里に変わったのである。

  今こそは、われわれが、悲しみを乗り越え、手を携えて、台湾の経営に新局面を切り開くタイミングである。正常な民主国家となり、新世紀の一流国家に仲間入りできるか否かは、「新時代台湾人」意識の強化に成功し、台湾に豊かなエネルギーを確保することにかかっている。

  だから、国民の台湾意識は、強ければ強いほどがいい。

  だから、台湾を主体とした競争意識の確立は、不可欠だ。

  一九九六年に当選した時の登輝の54%得票が社会の主流民意の転換を如実に反映した。つまり、台湾意識がとうとう政党の伝統的な枠を超えてしまったことは、上記の支持率によって明らかになったのである。

  二OOO年と二OO四年に、陳水扁総統がそれぞれ当選と再選を果たしたことから見ても、台湾意識はますます強固なものとなり、そして「新時代台湾人」への転換は着実に進んでいるはずだ。

  十数年来、「台湾意識」の構築を意図する政策は、民意と合わさって、数多く登場した。例えば、

  二二八事件記念日は、77事変記念日と九一八事変記念日に取って代わった。

  身分証(IDカード)記載事項の「祖籍」は「出生地」に改められ、形骸化した「原郷」に代わり、人々の生活の場の優先を打ち出した。

  小中学校のカリキュラムに母語教学と台湾事情入門を加え、歪められた歴史認識の矯正を図る。次世代に自分の出生地を認識させたり、事情理解を深めることにより、郷土への関心や愛情、そして責任感を培わせる。

  高校の国語課程にも手を入れる。つまり、文言文(古文)の比率を下げたり、中国文化基本教材を必須科目から外したりすることにより、現代生活の必要に答える一方、大中華民族主義の呪いから逃れさせるためである。

  国家試験における本国歴史・地理の範疇を台湾に係わるものに限定させたのも当然と言えば当然である。

  そして、二OOO年から、お札にも本土色彩をどんどん取り入れた。

  一九九四年、登輝は、司馬遼太郎に次のように告白した。

  「今は、郷土教育に力を入れている。小学校の教学には、台湾の歴史と地理、そしてルーツ探りなどの課程を加えた。いままでは、台湾事情をほったらかし、大陸のことばかりなんて、本当にばかげた教育だ」。

  第二次大戦後、ドイツが再び復興を遂げられたのは、低層の教師たちが郷土教育の強化に努めたからである。たいへん感銘を受けた次第である。それと対照的に、終戦来の台湾教育は、日本の皇民化から大中華民族主義へ転換させられたから、外来政権の違いがあっても、主体性は否定されたことに変わりがない。

  今日でも、ごく少数とは言え、大中華民族主義に幻想を抱き、すでに遅きに失した矯正に対しても、台湾を主体とした歴史の復元に対しても、抵抗している。このような偏執は、本人のみならず、台湾の不幸でもある。

  いままでの教育改革に対して、中国化の排除を意図としたものだと、色眼鏡で批判してはならない。長期にわたり本土文化をないがしろにしてきた不合理を改め、多元的な現代文化に適した環境を整備させることにより、様々な文化を育て、台湾文化の錦の御旗を織り上げることを最終目標としている。

●台湾は民主人の共和国だ

  「新時代台湾人」による台湾を主体とした新社会が、民主、自由、多元、開放を軸に何をしようとするのかは、たいへん重要な内容だ。

  民主改革のもたらした新しい秩序が落ち着き、民主政治の運営も日に日に改善されてくれば、政府は公正かつ平等の新社会の構築に着手すべきである。まず最初に、社会の底辺に分け入り、老人、子供、女性、退役軍人、労働者、原住民、そして身体障害者などの弱者に注意を払い、行政部門に具体的な政策を制定させ、生活条件の向上を図ることである。

  しかしながら、社会福祉や経済面ばかりをいじってはならない。

  民主改革による、「主権在民」という政治理想の実現にともない、全国民は国家の主人としての地位を享受できることを、国家目標として達成させなくてはならない。しかし、台湾社会の隅々には、いまだ第一段階の台湾経験の恩恵にあずかっていない人々がたくさんいる。彼らは、経済的劣勢に置かれるほか、民主政治に保障された公民資格に程遠い社会身分を強いられている。

  「富める国家に貧しい主人公」という図式が、台湾の民主社会では許されない。したがって、全公民には、政治権利の延長にある社会権利として、一般的か、より良い権益と尊厳を保障してやらなくてはならないことを、21世紀の台湾の国家発展目標として定める必要がある。

  今日、台湾は、歴史の構造と現実の運営が交互に作用し合うなか、資本主義経済の形態をとるのは、必然的な趨勢であろう。台湾の経済は、体制として資本主義の法制化を完備させたり、自由競争にもとづく市場経済メカニズムをはたらかせることにより、グローバル化を図って行かなければならない。

  しかし、経験的に言えば、充分な公平正義を欠いた社会では、資本主義のオペレーションの如何によって、政治活動や社会生活に悪い影響を及ぼしたり、特に独占資本化が進み、貧困層の不満を募らせるばかりで、自由と平等、全員参加を標榜する民主政治は、立ち行かなくなる恐れがある。

  「もっともモダンな高層ビルと、ぼろぼろの家屋が隣り合わせに建っている、不釣合いな都市景観を前に、政府関係者は、まず人に合わせる顔がない気持ちでいっぱいだろう」。

  もし、台湾の人々が、政治自由と同時に経済自由を享受できなければ、お金に縁がなくとも、投票権を持っているから、台湾民主の進展に影を落とすかもしれない。例えば、選挙時の賄賂、つまり、政治権利をお金に換えるという、台湾民主にとってあってはならない致命傷になる。

  資本主義社会では、政治自由と経済自由が相俟って、経済民主となる。そして、経済民主を通して、「慈悲なる資本主義」の労資関係が形成され、富の再分配が公正に行われることにより、独占資本による寡占資本主義を防ぎ、悪質な金権政治の芽を摘み取ることができる。これこそ、台湾に課せられた、緊急課題である。

  マルクスが警告を発したように、資本主義経済は、弊害が生じやすいために、自己破滅を招く体質を内包しているという。したがって、経済を放し飼い牧場にしてはならない。そして、公平正義を貫徹させなくてはならない。なぜなら、これは抽象的な信念に留まらず、人間の尊厳に係わる問題だからである。台湾は「民主的な」共和国のみならず、「民主人の」共和国にならなければならないのだ。

●「新時代台湾人」が、結論だ

  一九九四年に「台湾人に生まれた悲哀」の一言を発端に、国内外から非難を浴びせられた。台湾人民が受けた歴史的傷害に理解を示すどころか、さらに傷口に塩を摺りこむという行為に遭って、「台湾人に生まれ、台湾のために何もできなかった悲哀」に打ちひしがれるのは、自分ひとりだけだろうか。遂に根拠のない中傷攻撃に触発され、台湾人民は「台湾人に生まれた悲哀」に共鳴し、怒涛の勢いで同情を寄せられた。

  旧約聖書・出エジブト記は、モーゼがイスラエルの民をひきいて、エジブトを脱出、シナイの広野をへて、神が与えると約束したカナンに入り、建国するという、歴史大行動について記す。

  登輝は、聖書の上記の一節を、司馬遼太郎に意味深に話したがために、「自分を、聖書中、イスラエル人をひきいてエジプトを脱出、建国するモーゼと見なしている」と、悪意に満ちた中傷を浴びせられた。つまり、「出エジブト記」を「台湾独立」に安っぽく政治的になぞらえたのである。

  彼らは、出エジブト記の脈絡も知らず、つまり、凹凸鏡で、ものごとを判断するような事実錯誤を犯している。実は、出エジブト記の核心思想は、エジプト統治からの脱出を描く前半というより、イスラエル人が主人公となり、進歩的な文明を築きあげたプロセスを記述する後半にある。これは、まさに「新時代台湾人」が置かれている現況にそっくりではないか。

  「新時代台湾人」の「時代性」を理解するには、常に歴史の脈絡を測らななければならない。

  「新時代台湾人」の歴史課題は、すでに出された。先人たちが描いてきた理想を実現させなくてはならない。つまり、民主時代に相応しい新思考と新活力を持って、先人たちから継承してきたこの地で、和気藹々と、公平正義なる民主社会を構築し、麗しき新天地を仕上げようではないか。ここで暮らす2千3百万の人々は、到着順に関係なく、この土地への帰属意識の強化に賛同し、台湾意識を実体化することに異存がないはずだ。そして、国際人権基準に照らし、われわれは、自らの政治地位を自主決定し、自由を尊重した経済や社会、文化の発展を図っていこうではないか。

  この地に根を下ろしている全ての人々は、運命をともにし、真の共生意識に目覚めるによってはじめて、台湾が希望に満ちた新世紀に船出できるのである。

  だから、「新時代台湾人」が、結論だ。