台湾経済と企業発展段階における女性の役割

福岡県商工会女性部海外研修団

2009年10月13日(於円山飯店)

はしがき
 
  日本李登輝友の会、福岡支部長、永嶋直之先生、および福岡県商工会女性部海外研修団の皆様、こんばんは!
只今ご紹介に預かりました李登輝です。

  この度、皆様の台湾研修で、「台湾経済・企業発展段階に於ける女性の役割」についてお話しをしてもらえないかとの注文がありました。非常に有意義なテーマである上に、今まで、これを講演して公表した例もありませんでした。今度の研修会は殆ど女性の方であり、その上日本でも非常に大切な指導的立場におられる方々ですので、私もこの度、講演をするに当たって、大いに勉強する機会が与えられました。

一、戦後の台湾経済発展

  戦後における台湾の経済発展は日本に次いでニースカントリーのトップを占めて参りました。経済発展の迅速と企業発展の段階に於ける質的向上は、世界の国々から高く評価されています。
 
  戦後、台湾経済発展を段階的に区画してみると、第一期は一九五〇年前の農業発展の復興時期、第二期は一九五〇年から一九七〇年に至る中小企業発展と輸出時代、第三期は一九七〇年から一九九〇年に至る重大建設による大規模工業の発展とインフラの整備が完成された時期に分けられます。後は一九九〇年以後の電子産業発展時期に分けられます。
 
  戦後台湾経済が順調に進行してきた原因に、戦前五十年間にわたる日本植民地時代の台湾近代化と工業、農業発展の基礎がつくられたことでしょう。さらに、女性の経済発展に対する貢献を忘れてはなりません。

二、日本統治下の台湾は近代社会に邁進

  日本は台湾を五十年間統治しました。この間、台湾に最も大きな変化をもたらしたのは、何といっても、台湾をして、伝統的な農業社会から近代社会へ邁進させたことです。また、日本は台湾に近代工業資本主義の経営観念を導入しました。台湾製糖株式会社の設立は、台湾の初歩的工業化の発展となり、台湾銀行の設立により、近代金融経済を採り入れました。

  度量衡と貨幣を統一して、台湾各地の流通を早めました。一九〇八年の縦貫鉄道の開通により、南北の距離は著しく短縮され,嘉南大しゅう(潅漑水路)と日月潭水力発電所の完成は農業生産力を高め、工業化に大きく一歩踏み出す事が出来ました。

  行政面では、全島に統一した政府組織が出来あがり、公平な司法制度が敷かれました。これら有形の建設は台湾人の生活習慣と観念を一新させ、台湾は新しい社会に踏み入ることが出来ました

  日本はまた台湾に新しい教育を導入しました。伝統的な私塾は、次々と没落し、台湾人は公学校を通して新しい知識である博物・数学・地理・社会・物理・化学・体育・音楽等を吸収し、徐々に伝統の儒家や科挙の束縛から抜け出すことができました。そして世界の新知識や思潮を理解するようになり、近代的な国民意識が培われました。

  一九二五年には台北高等学校が成立しました。台北帝国大学は一九二八年に創立され、台湾人は大学に入る機会を得ました。ある者は直接、内地である日本に赴き、大学に進学しました。これによって台湾のエリートはますます増え、台湾の社会の変化は、日を追って速くなりました。

  近代観念が台湾に導入された後、時間を守る、法を遵守する、更に、金融・貨幣・衛生、そして、新型の経営観念が徐々に新台湾人を作り上げていきました。
 
三、台湾の経済発展段階に於ける女性の役割

  戦後台湾経済発展は、上述したように四つの段階に分けて考えることが出来ます。それぞれの段階に於ける重要な産業により、女性の役割もかなり変わってきます。総じて女性は先天的に種族別に違う所が存在しています。
台湾には種族的に福佬族、客家族、平埔族、先住民と大陸から移住してきた外省人に分けられます。

  各種族における女性の家庭内に於ける地位や責任は違っていたようです。福佬族の女性は一般に家庭主婦が多いようですが、農業発展時期には、男女共に畑で働くことが普通でした。客家族、平埔族と先住民では、女性は家庭内では事実上の実権を握り、家庭の仕事や農務に積極的にかかわりました。母系型に近いものでしょう。しかしながら、かかる先天的な要素も、徐々に教育で矯正されてゆきました。それは経済発展段階別に、女性の役割が変わってゆき、その貢献も様々です。

  先ず、農業発展時期については、女性は皆、農耕作業に従事していましたが、客家族、平埔族、先住民の各族は、女性の役割は特別多かったようです。これら諸族の男性は、フィリピン型で、気楽に毎日を過ごしていました。経済が発展し、教育が男女平等に受けられるようになると、女性の役目はどんどん変わって行きます。工業化の過程では、女性は重労働や機械の操作の面では男性に劣りますので、仕事の面では多様化した状態になりました。

  二〇〇八年の人口別に見ても、男女の比は50.5対49.5の比率で、一九九一年の男女の比率は51.6対48.4の比率に比べて、女性の人口数は相対的に増加しています。その原因は出生率の差だけでなく、女性の高齢化が顕著になっています。

  男女の労働力の参与率を統計的に見ても、一九六三年、男性は84.38%、女性は34.73%であったのが、一九八〇年には男性は77.2%に落ち、女性は39.20%に増加しています。

  二〇〇〇年には、男性は69.42%、女性は46.02%と大幅に増加し、更に二〇〇八年は、男性は67.10%と落ちて、女性は49.70%と増加しています。社会に於ける労働力参与はかなり、急速な変化を示し、女性の就業率が高くなっています。

  男女の就業者から見ても、平均的に観ても大学以上の学歴所有者増加率は10%ですが、男性は9.5%、女性は11.7%と、非常に高くなっています。男女の手取りのサラリーは、工業部門では、女性が男性の61%だったのが、二〇〇八年では70.9%と高くなりました。

  同じ手取り額でも、サービス業部門では、一九八〇年には女性は男性の72%に過ぎなかったのが、二〇〇八年では83.6%と高くなっています。
企業責任者の報酬では二〇〇一年、男性は女性の5.7倍と高かったのが、二〇〇八年には4.6倍に落ちています。

  現在運営中の企業で、責任を負っている男女別の比率は、二〇〇八年では、女性が20.46%を占めています。

  事業別に見ると、食品製造業が24.43%、飲料製造業では27.74%、衣服製造では、26.44%となっていて、四大業種別に見た数字は民生工業が平均22.95%、化学工業で21.32%と、かなりの数字を示しています。

  企業の創業者投資金額を男女別に分類した統計では、創業人数は女性は39.3%とかなり高い数字になっています。投資資本額を男女別に見ると、女性は18.8%と少し低い数字を呈しています。投資によって提供した就業人数は女性の投資によって得られた雇用数は全体の就業人数の44.2%とかなり高くなっています。これらの事実と統計資料によって得られる結論は、台湾の経済発展に女性の果たした役割は非常に高いと言うことです。これらの結論をまとめてみると、次の通りになります。

四、結論

  1.戦後、台湾経済発展の過程に於いて、女性の果たした役割は、統計的事実に則しても、上述の様に大きな貢献をなしています。その背後にある台湾社会の歴史的変化と女性の種族的伝統や慣習などの個別的要素が大きく影響しています。

  2.日本の植民地時代の五十年間は、確かに台湾社会全体の近代化、企業家精神が強く影響しており、教育の普及と男女平等という政策的効果が、強かったことであります。

  3.殊に、戦後に於ける男女の教育平等政策は、女性をして男性に劣らない教育を得ることが出来、女性の社会進出、就業は各職業別に、男性と異なることもありますが、大きな役割を占めています。

  創業者としても、積極的に投資を行い、企業のリーダーとして活躍している女性の比率もかなり高いものです。

  4.人口の比例で見ても、男女の性別では、女性が男性を追って、殆ど差異が認められません。これは長寿の女性が多いことに基因していますが、女性の就業(家庭外の仕事)は非常に高いものとなっています。

  5.産業別に見ると、女性の創業者は、民生産業(食品産業、衣服製造業者)に集中し、自己の特徴や長所を充分に活かして投資し、指導している訳であります。

  6.結論的に言えば、女性の経済発展に対する貢献は、経済成長に寄与しているだけでなく、女性の経済的報酬も非常に高くなっており、女性福利がかなり改善されたことも事実なのです。

  ご清聴ありがとうございました。