台湾主体性の確立について

2009年7月14日
李登輝

一、はじめに

  日本社団法人YPOの勉強会の平松東原会長、及び会員の皆様、こんにちは!皆様の台湾訪問を心より歓迎いたします。

  さて、私に講師として 「台湾に残る日本精神」についてお話をしてくれるよう、依頼がありましたが、 現在の台湾の実情から見て、私はむしろ、台湾主体性の確立に台湾が一生懸命に努力していることをお話したほうが皆様方にもお役に立つと思いました。現在に於ける日本の政情も、やはり強い主体性を求めているのではないかと思います。日台共に日本精神をもっと発揮して、「私は誰だ」と答えられる考え方が必要だと感じます。

  私は台湾に生まれ、台湾で育ち、さらに仕事も台湾でしてきました。私がこの地に抱く深い情は誰も変えることはできません。このため、台湾の人民が長期にわたり、外来政権の蹂躙と圧迫を受けてきた悲しい辛い運命に対し、憤懣やる方ない思いで、いつの日か、台湾人民の尊厳を高めるために尽力したいと常に思っておりました。

  その後、幸運にも政府の仕事に参与でき、更には十二年間、総統の職を務めることが出来ました。こうした偶然のチャンスを得、台湾に身を捧げる覚悟でいた私は、この間、一体何を考えてきたのか、思考の論理はどんなものだったのか。そして、如何にこれらを実践に移して権威の統治から脱却し、台湾の民主新時代を切り開いたのかなど、総統の任期を終えてから久しい今日、こうした過程について説明をする必要があると思います。このため、本日は皆さんに「台湾主体性の確立について」というテーマの下に、「新時代の台湾人と私の脱古改新」をお話することにしました。皆様のご参考になれば幸甚です。

二、外来政権統治下に於ける「新時代の台湾人」

  一九四九年、台湾を統治した外来政権-日本は、第二次世界大戦で敗戦に帰し、台湾の統治権を放棄するよう迫られました。こうして「台湾」は、英米連合軍に参加していた中国国民党により軍事的に占領されることになり、もう一つの外来政権、即ち「中華民国」の統治を受けることになりました。

  当時、台湾が置かれた前後の二つの環境とは、「天皇」と「天下は国家のもの」を強調する「日本帝国」、および中国国民党の「天下は党のもの」とする「中華民国」による統治であり、二つの外来政権の交代がこの台湾で行われました。五十年もの間、日本の統治を受けてきた台湾は既に現代化の道を歩み始めていましたが、これが台湾の文明に及ばない新政権が統治することになったのです。台湾人にとって、これは政治と社会に力学的な作用と影響を及ぼすものであり、二二八事件の発端もまた、こうした二つの異なる文明の衝突にあったのです。

  台湾は数百年にわたって外来政権により統治されてきました。一九九六年、台湾では初めて直接選挙による総統が選ばれ、外来政権の統治から脱却することができました。日本統治時代、台湾語を話す人々は虐げられ、終戦後もそうした状況に変わりはありませんでした。これについて、私は台湾人の悲哀を深く感じていました。我々は自らの道を歩むこともできなければ、自らの運命を切り開くこともできなかったのです。

  日本統治時代がそうであった様に、終戦後の国民党政権時代にあってもそれは変わることはありませんでした。

  こうした状況の中で、我々の中に「新時代の台湾人とは何か」という新たな問題が生まれました。ここではっきりと知っておかなければならないことは、この時点の「台湾人」は、異民族の奴隷から、同族の奴隷に変わっただけという耐え難い状況にあったということです。即ち、台湾人は日本統治時代には、既に「境界人(marginal man)」の境地に立たされていたのです。その後、「二二八事件」の発生により、台湾人は伝統的な内発的自省を始めるようになり、同時に自分たちが外来政権の人格主体性をなすものではないといった考えが形成されていきました。こうした行為と考えを持つようになっていった台湾人こそ、正に「新時代の台湾人」なのです。

  ここからも分かるように、「台湾人」が再び「アイデンティティ」を確立することができたのは、外来政権の統治下にあったからであり、外来政権が台湾人の「独立した〈台湾人〉」という絶対意識を掻き立てたのです。

  当時、二つの外来政権の狭間に置かれた状況は、自己認識の形成に極めて大きな影響を及ぼしました。こうした状況は、自らが置かれた二つの生命の形態、二つの世界、二つの時代の境界線にいることへの意識を持つと同時に、自らを超越論的な遠近法のもう一つの座標に置くこと意味しているのです。更に言うならば、これは自らを過去と未来を繋ぐ一環であるとはっきり認めたものなのです。過去を未来に持ち込む者を「旧派」と呼び、未来を過去から救い出す者を「新派」と呼びます。「旧派」は即ち中国国民党の権力のことであり、「境界人(marginal man)」は言うまでもなく、未来を過去から救い出す「新派」の位置を占めています。こうした「新派」は、具体的には「独立した〈台湾人〉」が自己本位を形成する時に、「則天去私(天に則り、私を去る)」ではなく、「則〈私〉去〈天〉(私に則り、天を去る)」の行動規範に従い、自分の内部から自主性の力を求めることを指します。こうした「新時代の台湾人」が持つ「則〈私〉去〈天〉」の行動規範により生み出される力は、台湾人が台湾の主(あるじ)となることを求め、民主改革を求める集団的な民意であったのです。

三、中国の託古改制

  スペインの哲学者-オルテガ・イ・ガセットは「我々が擁するほとんどの世界の図像は祖先から受け継いだものであり、これらの図像は人々が生活を営む中で確固たる信念として発揮されるのである」と話していますが、この考えに基づくと、中国は数千年の歴史を有している訳ですから進歩した文明国であるはずです。しかし、事実はそうではありません。

  中国の歴史は黄帝以降の夏・殷・周から明、清に至るまで、脈々と同じ流れを受け継いできた大中華帝国体制でした。この体制は「中国の法統」であると考えられています。この法統の外にある者は、即ち化外の民であり、夷狄(東方と北方の蛮族)の邦なのです。

  このため、中国人の特徴は「一つの中国」という概念、即ち五千年の歴史を持つ中国は「一つの中国」の歴史なのです。中華民国も中華人民共和国も中国五千年の歴史の延長線上にあり、中国はただ進歩と後退を絶えず繰り返している政体なのです。このため、ヨーロッパの人々が中国を例に挙げて打ち出した「アジア式の発展停滞」という説も、実は一理あるのです。
孫文先生が築いた「中華民国」は、理想を持った新しい国家の組織体系でしたが、残念ながら政局の混乱により建設が行われず、基本的には「中国法統」の政体の延長でした。中華人民共和国の源はソ連の共産党にありますが、「中国」という土地で国を築いたが故に、中国文化の束縛から逃れることができず、共産党は既に中国化してしまっています。中国に返還された香港で施行されている「一国二制度」も中国固有の産物です。

  ここで特に強調したいのは、共産革命が中国にもたらしたものは、中国をアジア式の発展的停滞から救うのもでもなければ、中国から逃れるものでもなく、中国の伝統的な覇権主義の復活と誇大妄想の皇帝の再来でしかないということです。

  中国五千年の歴史は、常に限られた空間と時間の中に閉鎖されており、各王朝が一つなぎになった連結体に過ぎません。つまり、前の時代の歴史の延長に過ぎないのです。歴代の皇帝は、権力と地位の強固、版図の拡大、財物の搾取に明け暮れ、政治改革を進めようとした者はほとんどいません。中国の歴史上で政治改革と言えるものは、戦国時代の秦国に於ける「商鞅の変法」、宋代の「王安石の変法」、清朝末期の「戊戌の変法」および立憲運動など数えるほどしかなく、しかもいずれも失敗に終わっています。帝王統治を全体的に見た時、各王朝はただ「託古改制」を繰り返していただけに過ぎません。もう少し詳しく見ると、「託古改制」というよりも、むしろ、「託古「不」改制」と言った方が、より真実味を帯びています。

  こうした五千年にわたる閉鎖的な帝王政体について、魯迅は次のような見方をしています。「これは目に見えない壁に幽閉された中で、何度も繰り返され上演される芝居であり、古い国の中で螺旋状に前進していくつまらない舞台である」と。また、中国人の民族性について、魯迅は「中国人は「争乱の首謀とはならず」、「災いの元凶ともならない」。しかも「最初に幸せをつかむこともしない」。

  このため、すべての事に於いて改革を進めることができず、先頭に立って切り開く役割を誰もが担いたがらない」と、より精確且つ細かい見解を述べていますが、この見方は大変適切であると私は思います。

四、私の脱古改新

  中国の法統に於ける「託古改制」が、もはや現代の民主化の潮流に受け入れられないことは明らかであり、台湾にとっては特に見直すべき問題でした。そのため私は「脱古改新」を提起し、以てこれに対応すべきであると主張しました。「脱古改新」の目的は「託古改制」の毒を断ち切り、「一つの中国」、「中国の法統」の束縛から抜け出し、台湾を主体性のある民主国家として切り開くことにあります。

  台湾が「脱古改新」をするためには、台湾自身の問題と中華人民共和国の問題をそれぞれ分けて処理する必要があります。

  私が一九八八年に総統に就任した時、台湾は「中国の法統」の根拠地であり、国民党政権は権力を以て台湾を統治していたという状況にありました。こうした背景には継承と革新の混同、保守と開放の対立、台湾と中国の政治実体の矛盾、民主体制と権威体制の選択などの深刻な問題が隠されていました。殊に民主改革を求める凄まじい民意の声が聞こえていました。これらの問題が抱える範囲は極めて広範でしたが、その病巣はただ一つ。それは台湾の実状に合わない憲法の実施でした。これらの問題を解決するには、憲法の改正から着手する必要があったのです。

  当時、私は国民党主席を兼任していました。国民党は政治改革に利用できる改革マシンでしたが、党内の保守勢力が阻害の要因となっていました。保守勢力は旧憲法にしがみつき、「法統」で約束された地位を手放そうとせず、民主改革を求める声に耳を傾けようとしなかったのです。しかし、時代の巨大な歯車には太刀打ちできず、保守勢力はとうとう民主の大きな波に打ちのめされました。私は数々の困難に直面してきましたが、最後には全人民の支持を得て、経済の持続的な成長と安定した社会の中で、流血のない「静かな革命」、即ち六回に及ぶ憲法改正を成し遂げました。この中で、憲法改正の主たる目的である「動員戡乱時期」の停止、「動員戡乱時期臨時条款」の廃止、古参中央民意代表の改選、直接選挙による総統の選出などを実現させました。一連の改革により、民主の扉を開いたのみならず、同時に「中華民国在台湾(台湾に於ける中華民国)」を「台湾中華民国」という新しい位置付けにまで推し進め、台湾を主体とする政権を確立しました。即ち、台湾は「一つの中国」から解放される方向にあり、同時に「中国の法統」に終止符を打つ道を歩み始めたのです。

  台湾で実施されている中華民国憲法では、中国大陸も領土内に含まれていますが、これは事実にそぐわないものです。その一方で、我々は中国の「一つの中国」や「台湾は中国の一部である」との主張にも同意することはできません。この歴史的な争議を解決するため、私は一九九一年に「動員戡乱時期」の終了を宣言し、国共内戦に終止符を打ちました。双方は互いに政治実体として認め、台湾が台湾本島、澎湖、金門、馬祖を有効的に統轄していることを認め合いました。一九九九年に「ドイツの声」のインタビューの中で、台湾と中国は「特種な国と国との関係」にあると表明し、台湾と中国の関係について明確な境界線を示しました。台湾と中国の関係がはっきりすれば、台湾は永遠に安穏でいられるのです。

  台湾を主体性のある国にするには、文化の建設が極めて重要です。私は政治改革を進めると同時に教育改革、司法改革、および心の改革を提唱し、中国の文化的色彩の払拭に努め、多方面から台湾の主体性ある文化の建設に取り組み、台湾の国家基盤の強化を図りました。当時、私はこれを「新中原文化」と称しました。

  台湾の民主改革の完成、新文化の確立、および中国との関係の明確化は、「託古改制」から「脱古改新」に転ずるプロセスであり、すべての価値の転換を実現させるものでもありました。

五、結び-私はなにものであるか

  台湾に於ける「脱古改新」の歴史的大業の完成は、すべての価値の転換を実現し、台湾を根底から一新させ、民主社会の新紀元へと突入させました。これは大変喜ばしいことです。しかしながら、このプロセスの中で、私が果たした役割は如何なるものであり、私の思惟の根拠はどこにあったのでしょうか。そして、私はなぜそれを実行したのでしょうか。これについては、詳しく説明する必要があると思います。

  私は青年時代に二つの問題について問い続けていました。一つは「死」について、そしてもう一つは「自我」についてです。実際、この二つ問題の関係は弁証的なものです。いわゆる「死」とは肉体的な死亡のみを指すのではなく、観念上の自我の否定も含まれます。

  もちろん、「死」とは生命の終わりを意味します。これは自然の一つの過程であり、命の限度の中で自我を実現させ、世界の中に自分の位置付けを探し求めるものです。「死」のもう一つ意義は自我の死亡です。これは超自然的であり、自我を止揚し、存在のレベルを昇華させることです。こうして人は生まれ変わるのです。

  マルティン・ハイデッガーはニーチェの研究で記した大著の中で、『ニーチェは生の本質は自己の保存(生存競争)にあるのではなく、自身を超えた境地へ高めることで生の本質を見出すことができると考えた。このため、生命の条件として、価値はそのようなものと考えられるべきであり、それは生を高めることを担い、促進し、駆り立てるのである』と述べています。

  いわゆる「超人」とは、このようにして自分を超越することなのです。ニーチェは著書の「ツァラトゥストラはかく語りき」の中で、『今、心配性の人は往々にして「人は如何にして自己保存できるのか」と問うが、ツァラトゥストラは初めて、そして唯一「人は如何にして超越できるのか」と問うた人である』と言っています。

  これまで、ダーウィンの進化論の影響により、生命の最重要課題は自己の保存だと考えられてきました。これについて、ハイデッガーは生を高めることが生の本質であるということと誤解していると解釈しています。この二つの価値が誤って位置付けされているからこそ、我々は新しい価値ですべての価値を見直さなければなりません。

  私は命の旅の中で、常に明確な目標意識を持ち、さらにその目標に向かって前進してきましたが、様々な人生体験を経て、私はついに「私ではない私」という人生の正しい意味を悟り、これはまた新時代の台湾人にとっての誠の意義でもありました。実際、この意義は、今日まで私が生命に対して行ってきた弁証を完全に写し出したものなのです。

  以上、「台湾主体性の確立について」と言うテーマの下に「新時代の台湾人と私の脱古改新」を私が政治に携わる中で、また人生で体得したささやかな考えをお話しました。

  皆さんのご参考になれば幸いに思います。ご清聴ありがとうございました。