李登輝の人生哲学―京大学生新聞記載
(刊於:二〇〇一年三月二十日)
社会的正義に関心を持つ
-どのような家庭で育たれたのでしょうか
私の家は小地主であり、祖父は家で雑貨屋を営むかたわら保世(村長)をしていました。また父は刑事として郡役所に務めており、戦争中は統制組合長をしていました。ですから割に裕福な家で、経済的にそれほど不自由なく子供時代を過ごすことができました。また父は私のやることに対して、特に意見を言うことなく何でもさせてくれ、そう言う意味でも私は自由だったと思います。逆に自分で求め選択していかなければなりませんでした。父の仕事は転勤が多く、私は生まれた故郷には三カ月ぐらいしか住みませんでした。また国民学校の時には四回も学校を変わっています。そのためあまり友達はできず、絵を描いたり本を読んだりして過ごしました。
本は当時の父の給料の一割半にも当たる一冊四元の「児童百科事典」を買ってもらい、隅々まで面白く読みました。そのような生活は、物事をよく観察する内向的な自分の性格を形作ったように思います。
子供のころ、よく考えたことが二つあります。一つは地主である私の家に物を納めに来る小作人を見て、どうして同じ人間でこんなにも不平等なのかと考えたことです。社会的正義の問題に小さい頃から関心を持ちました。
もう一つは、自分の自我をどのように治めるかということです。私は兄と二人兄弟なのですが、兄は祖母の所で育てられていたので、母は私のことを溺愛しがちだったのです。父は仕事が忙しかったですから、母は家で私にかかりっきりになるわけです。私はひどく甘やかされることに抵抗感を覚え、嫌でしかたがありませんでした。このようにして芽生えてきた自我を、私は何とかしたいと常に考えるようになりました。
禅を通じ「生」の意味を探索
-自我の問題にどのように対処にしたのですか
ますます強まる自我を退治するために、私は禅に凝っていきました。座禅を組んだり、寒い中、川に飛び込んだりするなど、修業なようなこともやりましたし、早朝の奉仕活動もやりました。なるべく人が嫌がることをしようと便所掃除などもよくやりました。そうすることが自我を治めるのに役立つのに感じ、私はそれらを好んでしたのです。
禅について書かれた鈴木大拙先生の本を読み始めたのもその頃です。そこで、より根本的に、なぜ人間は死ぬのかという問題にも突き当たるようになってきました。人間は死んだら一体どうなるのか。生きる中で自分は何をなそうとするのか。人間が有限であるということを了解し、生きることの意味を、禅を通じて探索していました。
そんな自我退治の生活も、高等学校に入って変わりました。もともと本が好きな私ですが、西洋や東洋を問わず多くの古典を読むようになりました。その中で特に倉田百蔵の「出家とその弟子」が自我退治には役立ちました。同書の中で、親鸞和尚は死ぬ時、恋愛をした弟子に対し、「それでよいのじゃ。皆助かっているのじゃ…、善い、調和した世界じゃ」と言い、弟子を許してやる場面に非常に感銘を受けました。
そのほかに影響を受けた本と言えば、トーマス・カ¦ライル「衣服哲学」です。これは高等学校一年生の時の教科書に載っていたのですが、独語のような英語が難しくて、分かりませんでした。これを詳しく講演したのが新渡戸稲造先生の講義録です。私は本格的に政治をやろうと台北市の市長になった時、大学に自分が持っていた本を寄贈したのですが、それでも手元に残したのがこの本でした。それからゲーテの「ファウスト」。当時は序幕を暗唱することができるまで読み込んだものです。
これらの本を通じて得られたことは、いかに自我を生かすかと言うことでした。対外的否定によって自我を否定することで、逆にすべてが肯定できる。小さい自我をなくして大我につくということです。そしてそれが全部を肯定することになるのです。こうして非常に唯心論的な考え方にたどり着いたのです。
精神と物質 両面が必要
-どのような大学時代を過ごされましたか
私の大学生活は京都帝国大学時代と台湾大学時代の二つに分けることができますが、京大のころは正に戦争の時期でした。日独寮というところに住み、食べ物もなくて、ひもじい生活をしていましたし、招集も受けました。招集に際しては第一線で生死の問題を見つめることができる歩兵を志願しました。生死の狭間で、如何に個人を確立するかということを考えるためです。
戦後は物質に欠乏し爆撃で街が破壊され、ひどい状況でした。私は名古屋の第十軍司令部から、また大学に戻り、一年後には台湾へ戻るのですが、その間、広島や長崎などいろいろな所を見てまわりました。
その時、私の思想が変わりました。それまで私は自我の問題ばかりを考えていたのですが、人間には環境が必要なのだということを考えるようになったのです。特に戦前の教育は一元論的なもの、それも精神論に偏ったものでしたから、それからは物質を重視するようになっていきました。
私はマルクスなどの理論に傾倒し、唯物論者になっていくわけです。この時、唯物論者として農業経済の勉強に打ち込んだことは、唯心論から解き放たれて、社会的公正や制度の問題の改禅に取り組む、良いきっかけになったと思います。
しかしそれから三十歳までは、思想的に迷いがありました。つまり物質ばかりでもおかしいということを感じ始めたということです。結局、身体と心、そのどちらもが人間の生存過程には必要なのであり、心のない体であってはいけないし、体のない心もあり得ないと、考えるようになったのです。それからというもの私は、神がいるのかいないのかということを考え始めました。しかし、信仰というものは大変難しいことです。妻と三年間、一週間に五日間は台北市内の教会を渡り歩き、徹底的に神を求めてきました。その中で神の存在を確信し、信仰を持つに至ったのです。唯心論から唯物論、そして神の社会へ。私の思想はそのような遍歴を遂げたのです。
-先生にとって信仰とはどのようなものですか
ここから観音山という山が見えますが、あの山の頂上は非常に狭い場所ですが、四方を見渡すことができ、下手をすると転げ落ちてしまいそうな所です。私は妻や孫たちを連れてそこへ登り、彼らに言うのです。『このような何も頼るものがない所で、頼ることができるのは神だけだ』と。
私は総統職という立場は、そのような山頂に立たされているのに似ていると思います。誰も助けてくれない。家族であってもその仕事については何の助けにならない。そんな状況下にあって信仰の生活は深まるというものです。
結論から言って、信仰というものは知的に分析するということではなくて、信じるということ自体が重要なのだと思います。カントも実践理論と純粋理性について言及していますが、実践することには理屈がつかないのです。見えないから信じないというのはおかしいのです。
今の科学は実証主義ですが、実証できないからと言っても必ずしもないとは言えないとは言えません。今科学的に正しいと言われていることが、必ずしも正しいとは限らないのです。ニュートンは、リンゴは天から落ちると言いましたが、宇宙ではふわふわと浮かんでいるではありませんか。昔は分子や原子のこともわからなかったのに、今はDNAやゲノムについて述べるようになりました。今の科学にもすべてが分かっているわけではないのです。人間の考え方などというのは次々と変わっていきます。
自然科学も社会科学も同様で実証主義は結構ですが、それが通じる範囲は限られているということを知らなければなりません。つまり科学というものは限られた範囲について捉えた、局部的な見方でしかないということです。だから神は見えないから信じないということはおかしいと言うのです。人生には分からないことがたくさんあります。魂の重要性、肉体の重要性、人間を超える偉大な存在があることを信じること自体が重要なのだと思います。
既得権益を破壊する闘い
-民主化を進めるにあたっての苦労を教えて下さい
総統としての仕事は苦労の連続でした。社会を改革するということは大変なことなのです。変えるということは、これまで特定の集団が得てきた既得権益というものを壊さなければならないのです。特に私は人間は自由であり、政治体制は民主的であるべきだと考えていましたし、台湾には民主的な制度が必要だったので、そのために政治改革や司法改革を進めました。司法制度を整えて、昔さながらの、敵討ちによらずに問題を解決する社会を作り上げてきました。それから人々の心霊を変える教育改革などにも力を入れてきました。
私は元々学者出身の人間ですから、権力はなかったし、お金もない。また派閥も持ち合わせていませんでした。そう言う人間が改革をやろうというのですから、政治指導者がよくやるような革命ではなくて、とにくかく時間をかけて説得してまわりました。そうして改革を進めていく中で、昔の特権階級が没落する一方、今度は田舎の小作人の出身である陳水扁が総統になりました。
これまでの過程では、特権階級の握るテレビや新聞は激しく批判を浴びせてきました。私の妻もなぜこんな目に遭わなければならないかと、よく泣いていたものです。本当に激しい闘争の連続であったということができます。どこで誰が私のことを狙っているかなどというのも分かるものでもありません。しかし神は必ず私を守ってくれます。私は気にせずに仕事に邁進してきたのです。
私心を捨て公心を持つ
-リーダーとして必要な資質は何だとお考えですか
リーダーというのは本当に難しいものです。第一に公の心がなければなりません。私心を捨てるということです。私はその点、小さいころから自我退治に務めてきたのが幸いしたと言えるでしょう。個人は大事でありますが、国家はもっと大事なものなのです。国家は私たちのアイデンティティを形作っているものなのですから。国家の威厳とあるべき姿をしっかりと表し続けなければなりません。
確かに国家は、かつて軍国主義に走り、戦争を引き起こしたのは事実ですが、その悪い点を変えればいいことなのです。国家がすべて悪いと、象徴である国旗や国歌をないがしろにしたりするのは問題があると思います。私は司馬遼太郎さんの著作にもある坂本龍馬の「船中八策」に刺激を受けました。あの頃の若い人々は国家を信じていました。私はこれを思いながら政治改革を進めてきたものです。
私がそれに加えて、さらに大事だと考えるのは、信仰を持つと言うことです。信仰を持てば人は動揺しなくなります。そして実行力。言ったことは絶対やるということです。今日はああやれ、明日はこうやれだけではだめです。そしてきちっと組織を治めることができるということや、適切な判断力を持つということです。これらは若い頃に培ったもの、読んだ本やさまざまな経験が役立っているのでしょう。
私はそれまで別に総統になりたいと思ったことはありませんでした。国家のためなら、基礎となる石ころ一つでも構わなかったのです。大地震が起こった時も、あと六ヶ月で退任することを決めており、残されたわずかな総統在任期間中に最後に神が与えた試練だと思い、地震の処理に当たりました。もう一期という声もありましたが、憲法を改正してまで総統の座に居続けることはおかしいことです。
リーダーになるということは、それだけ権力を握るということですが、私は権力が集まるのは危険なことだと思います。自分の手に多くの権力をつかむと言うことは、恐ろしいことです。司馬さんとの対談「台湾人に生まれた悲哀」の中でも言ったことですが、権力というのは客観的に言えば、私に与えられた特権であると言えるでしょう。これを使ってある仕事をする。それが終わればきちんと返すべきものなのです。私自身が権力なのではないのです。もちろん総統になれば、いろいろな特権が付きますが、これは制度によるものでしょう。例えば護衛や車が付きます。しかしそれでは自分の自由にできない訳ですから、むしろ私は窮屈に感じておりました。
新しい文化創造を提唱
食糧、環境、エネルギーなどの問題をどのように考えていますか
資源というものは神が与えて下さったもので、これが個人の利益につながらないようにすることが重要です。台湾では食糧問題はそれほどでもありませんが、環境問題はひどくなっています。環境を公的な財産と考え、社会的正義の問題として捉えながら処理していかなければなりません。
さらには文化、伝統自体を見つめ直す必要があるのでしょう。例えば秦の始皇帝は典型的ですが、中国人は墓を大きく作る習慣があります。山に大きな墓を作り死体を埋める。個人的な欲望のために死んでもなお、そうして自然を破壊するようなことをしています。
私は個人的には灰にして山に撒いてもらって台湾とずっと生きていければいいと思っていて、妻にもそのように言ってありますが、ともかく悪い習慣は変えていく必要があります。儒教の中には今の社会には合わない非常に不合理な側面がたくさんあります。そこで私は新しい文化、新中原を創り出していくことを提唱しています。新中原は新しい文化の中心という意味であり、文化は人の考え方の問題ですから、考え方を変えてより良き文化を創造していくべきだということです。これは私一人ではどうにもならない問題で、時間をかけてみんなでやっていかなければならないことです。
その過程においては科学技術の進歩などの環境の変化も重要な役割を果たします。例えば携帯電話が普及することによって、言論の統制などはできなくなると考えますし、より合理的な社会制度が実現されていくでしょう。
また、より直接的には教育を改革していくことです。最近家庭での教育はますます難しくなっていますから、小・中学校からの教育に特に力を入れていく必要があるでしょう。また国家以外にも私人で教育を進める機関が出てきてもいいでしょう。ともかく、これからはグローバリゼーションという流れに対しても上手く対応していく力を身に付けなければなりません。
国際社会の中にあって自分の国をどのように位置付け、どのように世界に貢献していくのか。アンソニー・ギデンス氏はフィッシャー独外相を批判し、EUのあり方を説いています。即ち、経済や各種技術が結ばれても多元的な政治体制は存在するのだというのです。どれだけ関係が近づいても宗教や伝統は残りますから、それらをいかに許し合っていけるかが大事なのではないでしょうか。多国と比較をしたり認め合ったりしたりすることなどを子供たち教えるべきことはたくさんあります。教師もただ受験勉強で良い点を取らせればよしとする、月給泥棒のようなことではなくて、どんなできない子であっても尊重し、うまく育む力が必要とされています。
内外両面を分けて考えよ
-学生へのメッセージをお願いします
学生さんに言いたいのは、内外両面を分けて考えないといけないということです。個人的に充実するということとともに、国家や世界といった社会のことも考えるべきだということです。国家の歴史は連続していますから、過去をただ批判するのではなく、事実は事実としてもっと客観的に何が悪かったのかということを見つめ、きちんとした歴史観を持つ必要があります。特に日本という国は世界に貢献できることも多いのです。そういう勉強をしていってほしいと思います。