台湾の危機存亡を救う道

前総統・李登輝学校校長 李 登輝

日本李登輝之友會第四回台湾李登輝学校研修団 特別講義

日時:2006年(平成十八年)3月15日 
於渇望学習センター

  日本李登輝友の会の第四回台湾李登輝学校研修団の宇都宮団長、宇井副団長、そして団員の皆さんご苦労様でした。研修参加を心から歓迎致します。

  今日、私は何を話したらいいのかを考え、実はこの二、三日ほとんど寝られませんでした。今まで話したような内容を繰り返しても仕方がありません。第三回までの台湾李登輝学校研修団の皆さんも非常に真面目で、いろいろなことを勉強して日本に帰り、その中には台湾問題を研究した方もいます。第三回研修生の伊藤英樹さんもその一人で、今日は後で、彼の論文を読んで皆さんに聞いてもらいます。

  それで今日はどういうことを皆さんに話したら良いのかと、結局、夜中の二時ごろまで考えておりました。今日は今までの考え方をまとめて、「台湾の危機存亡を救う道」、こういう題でお話しします。

  このテーマは大きすぎるのではないかと思う方もいるかもしれませんが、そうではありません。今の台湾というのは危機に瀕しているのです。こういう危機に台湾が直面していることは案外知られていないし、皆さんに対する講義や話は楽観的な内容が多く、それでは困ります。今の台湾の状態は政局も含めて、非常に乱れた状態に置かれています。やはりこの現状を皆さんにはっきり知って頂きたいと思います。

五つの問題

  まず第一に、台湾の民主化の発展と停滞。台湾の民主化は停滞していますが、いつごろ停滞したのかという問題です。第二に、台湾が今ぶつかっているところの危機構造。何が危機なのか、危機構造の分析が必要です。第三は、危機構造の中における問題群とその解決。台湾にはどういう問題があり、どのように解決していったらよいのかということです。その問題はだいたい八つに分けられます。そして第四番目は危機存亡を救う道。どのように救うべきかです。

  その中でも、問題群を解決するための優先順位、プライオリティー、何を先に何を後にするかという優先順序を見極めることが非常に大切になってきます。

  台湾はこの四つの問題を抱えていますが、台湾の危機存亡を救う道は恐らくたくさんあると思います。ここでは私の考えを言わない方がいいでしょう。そこで、皆さんがお互いにこの問題を討論しやすい形を考えると、伊藤英樹さんの提案していることも一つの道だと私は思うので、ここで、伊藤さんの書いた「台湾は事実上のみならず法律上も主権独立国家である」と題した論文を紹介してみたいと思います。

  そして第五番目の問題として残されているのが、台湾の政局をどうするか、政局をどう調整しなおすかであり、これは非常に大切な問題です。

  日本政府のある重要なポストに就いている人も台湾の将来、特に二〇〇八年の総統選挙の結果がどうなるかをとても心配しています。そこで政局を調整するためには、第三勢力(路線)を模索することも重要な課題となってきます。英語で言えばサードパワー(The third power)です。イギリスのブレア首相はこのサードパワーを提示することによって労働組合の影響力を大幅に抑え、労働党を生き返えらせました。台湾もこの第三勢力(路線)をどのように提示し得るかが、結局、政局をどう調整するかという難問を解決に導く一つの結論であると思います。

  この問題は、日本の政権党である自民党とも関連してきます。小泉純一郎首相の党派的な政治体制の再調整というのは非常に興味深く面白いものがあります。日本が田中角栄内閣以後における根回しによる自民党総裁や内閣総理大臣の選出を捨て、派閥的な政治体制から脱却し、日本にとって一つの大きなステップとなりました。日本では、例えば憲法改正の問題や教育の問題などいろいろな問題が出てきていますが、小泉首相が党派的な政治体制を再調整して、派閥的政治から脱却させたことは、これからの日本に非常に大きく影響していくと思います。

一、民主化の発展と停滞

  まず、第一の問題の「民主化の発展」ですが、台湾の民主改革の成功は、驚異的な経済成長と同様、国際的に注目されています。民主化への過程の中、私は国民党を率いて政府の運営を担い、台湾民主化の声に耳を傾け、主体的意思を尊重しつつ改革を推進してきました。当時、野党であった民進党も改革を主張していたため、与野党間は競争関係にありながらも改革に関しては力を合わせてきました。

  改革に全力を注いだ甲斐があり、台湾における権威的な政権体制が解体しかけ、民主社会の道が拡がり、一九四〇年代から続いてきたエスニックグループ問題、いわゆる族群問題も民主化と共に、解けつつありました。つまり、台湾は権威政権、オーソドックスパワーから民主主義に移り変わる一九九六年における総統の直接選挙を経て、二〇〇〇年の総統選挙で民進党の陳水扁総統候補が勝利を得たのです。

  これは何を意味するかというと、台湾におけるパワーの移動が初めて行われたということです。台湾において初めて国民党から民進党にパワーが移動した。その移動も平和的に行われた。この平和的に移動したということ自体がまた、台湾の民主化の発展にもつながった。このように台湾は一九九六年から二〇〇〇年の間に民主化の発展を成し遂げたのです。しかし、二〇〇〇年から二〇〇六年の六年間、民主化は停滞しています。

  そこで私は、台湾の国家としてのアイデンティティーと目標を確立し、それをもって政府の施政の後ろ楯とすべく「二十一世紀台湾の国家総目標」をテーマに、多くの学者や専門家による半年間の集中討議を経て、二〇〇三年に「二十一世紀台湾の国家総目標」という本を出しました。これは社会学でいうパラリウム、つまり原案です。

  このパラリウム自体は成果を得てきています。しかし、パラリウムは指導ポイントを持っているので、修正しなくてはならないものです。台湾はだいたい五つのパラリウムを経過してきたものの、あまり着実に行われてきていないことから、問題が全部内にこもり、一つの問題に固まり、複雑な形になってきています。

  結局、台湾の民主化はある程度は進みはしましたが、二〇〇〇年以後において停滞状態に入ってしまい、何もできないでいると言った問題があるのです。

  二〇〇〇年の総統選挙で陳水扁率いる民進党は政権を取りましたが、議会においては過半数を制していないために少数派であり、野党、つまり国民党や親民党などが国会において多数を占めていることが、民主化停滞の原因の一つとなっています。同時に、民進党による施政政策がほとんど行われなくなり、国会運営が非常に苦しい現状であるものの、民主党は国会を通さずともできる仕事さえやっていません。民進党は政権運営の経験不足や応用力に欠けていると言ってよいと思います。

  台湾は総統選挙を行い、総統に就任し、総統が一切の権限を握っています。しかし、政治というのは結局、協調ですから、政権を握ったからといって、一切を与党がコントロールするわけにはいきません。結局、権力の分配、すなわち野党に対しても自然に分配されるよう配慮されなければならないのです。例えば私が総統の時、民進党の中央党部はオフィスさえ持っていませんでした。運営するお金がなかったからです。そこで、選挙の得票率が一定のパーセンテージを得れば、それに見合った資金を国家が出すという制度を作り上げました。これで民進党は仕事ができるようになったのです。

  ところが、政権党となった民進党はパワーによる運営を進め、野党対策はあまり上手ではありませんでした。その結果、国会の対立がひどくなりました。与野党間の関係が悪化すると、ここに台湾の特殊な問題が出てきます。エスニック問題、族群問題が出てくるのです。つまり、本省人とか外省人という、戦後に蒋介石総統と一緒にきたグループの人間と、元から台湾に住んでいた人々との摩擦が遺憾ながら起こってくるのです。

  この矛盾は新たな政治政体と中国による統一戦線の工作によって、さらに国家アイデンティティーの衝突をもたらすことになり、そのため、台湾における民主化の発展は二〇〇〇年以降、統独対立で停滞状態にあるのです。その結果、国会は混乱し、重要な法案はほとんど通っていません。こういう状態をなんとか打破しなくてはならないのが現在の台湾なのです。

二、危機構造の分析

  では、解決の糸口はどこにあるかというと、構造の分析をやらなくてはならないのです。この停滞の構造をはっきりさせなくてはならない、はっきりさせて、これを解決しなければならないのです。

  台湾の存在は距離をおいて考えるべきで、この距離によって存在とは何かが明確になります。存在については、私が以前から指摘しているところのものですが、存在とは価値であり、そして希望なのです。台湾が存在するためには国家としての形成がなくてはなりません。明確な形で一つの国家を形成しなければならないのです。

  台湾ではよく、台湾は実質的には一つの国家であり、独立した主権を持つ国家だと言われていますが、果たして主張するところの国家が法的な一つの国家であるかどうかという問題があります。我々が提示した「二十一世紀台湾の国家総目標」に照らすまでもなく、台湾は国家として正常ではありません。台湾自体の憲法がなく、今でもまだ中華民国という国号を使っています。我々は真剣にこの問題を検討すべきであり、台湾の民主化の停滞という危機の構造の分析が必要なのです。

  現在、台湾の存在は非常な脅威に晒されています。脅威を受けた場合、存在が希望となります。私は以前からこの存在の問題が特に大切だと思っております。存在と時間という観念は非常に重要視されていますが、我々個人の存在にしても、国家の存在にしても、同じように最高の価値があり、我々をして希望を持たせなくてはなりません。存在イコール我々の希望であり価値であるのです。これが今の台湾では失われつつあります。この存在が危機に陥れば価値と希望はなくなる訳で、結果として民心を失い、また政党に対する支持も低下します。

  最近の台湾における選挙で、政権党である民進党は負け続けていますが、この原因は民心を失いつつあるからに他ありません。それ故に支持も降下してきているのです。そうすると、また国の民主化は進まなくなり停滞状態に陥る。その結果、国全体が不安定となり、存在の危機が、更に深まるのです。

  一九七〇年代半ばから始まった民主化の世界的風潮は、二十世紀の最後に台湾にも及びました。我々はこの民主の風潮を受け、政権交代を平和裡に成し遂げました。緊迫した事態や衝突も多少ありましたが、台湾における民主社会の変革に関しては、アメリカの政治学者で、「第三波」の著者であるサミュエル・P・ハンチントン教授が非常な関心を示しました。しかし、ハンチントン教授は、「第三波によって民主化に進んだ国が、必ずしもスムーズに民主国家になるわけではない」と解釈しています。

  ハンチントン教授は、それまで百十四カ国が民主化したと考えていましたが、自由の意識調査を基にすると、そのうちの三十七カ国は部分的な自由に過ぎないことが判明したため不自由な国家に帰属させ、二十世紀が終わりを告げたとき、第三波によってもたらされた民主化の風潮はもはや再編成を覚悟しなければならない状況に直面していると指摘しています。そこでハンチントン教授は、毎年、何十万人もの移民が押し寄せるアメリカが国の統一感を失いつつある状況を捉え、米国人のナショナル・アイデンティティー(国民としての自己認識)に生じつつある変化を分析して「who are we?」「我々は誰だ」という本を執筆しました。日本では「分断されるアメリカ」という題で出版されていますが、アメリカはアングロ・プロテスタントの文化、伝統、価値観に立ち返るべきだと結論づけています。

  日本では、西田哲学や鈴木大拙先生の継承者である京都大学名誉教授の内田閑照先生が岩波新書から「我はなんぞや」という本を出していて、私もアメリカに行ったときに、これと同じような内容を「我々は何者であるか|新時代の台湾人の道」という演題で講演したことがあります。

  ハンチントン教授は「Who are we?」でアメリカのような多民族国家はこれからどうすべきかという問題にぶつかっていることを明らかにしましたが、実は台湾も同じような状況にあるのです。

  では、民主化の発展を阻害する脅威はどこにあるのでしょうか。いわゆる危機の問題について、ハンチントン教授は次のように指摘しています。

  「脅威はまず、この民主化の過程に参加した人間が反対しはじめた。民主化を成し遂げた人間が裏切った。」つまり、政権は握ったが、握った後で腐敗し始めたということ。これが第一の問題です。

  「第二の脅威は、反民主主義を抱く政党や政治運動が選挙を勝ち取った時。」
これは今まで民主化に反対していた保守政権が、選挙で勝ったというケース。これが第二の問題です。

  「第三の問題は、行政部門の権力の無断行使、及び執政者が人民から参政権と自由権を奪い取った場合」つまり、行政面において、執政者が人民から参政権と自由権を奪い取った場合にも民主化は阻止されるという意味なのです。

  このような指摘は「二十一世紀台湾の国家総目標」で提案する項目の中でも「行政部門の腐敗」に入っています。また、独裁資本の構造問題が出てきますが、台湾には現在の行政部門の問題は残っています。従って、行政部門における権力の無断行使、これが第三の理由で、執政者が人民から参政権と自由権を奪い取るようなケースを第四に入れてもいいでしょう。つまり、民主化の脅威となるケースは全部で四つあることになります。この四つが百十四の国が民主国家になった時にぶつかった問題だとハンチントン教授は指摘しています。

  ただ、これらの指摘はあくまでも概略的な結論であって、各国の具体的な状況を踏まえて脅威の元を検討しなくてはならないともハンチントン教授は指摘しています。

  台湾における脅威の要因

  そこで、台湾の民主化を阻害している脅威の要因はなにかという問題になります。台湾がここまでやってきたこの民主化はどうなるのか。台湾には反民主イデオロギーを抱く古い体質の国民党があり、ことに連戦前主席を中心とした国民党は明らかに反台湾であり、中共と手を握っています。こういう反民主イデオロギーを抱く政党が出てきています。彼らは人民の選択の自由のうち、イデオロギーを操ってきました。幸い、これらの政党や政治勢力は選挙で政権を手に入れられなかっただけではなく、総統選挙で二回も失敗しました。しかし、次の二〇〇八年の総統選挙で勝てば、台湾はまた反民主イデオロギーを持った政党に支配され始めます。

  私は、このイデオロギーの信仰者たちは、台湾においては減っていくべきだと思っています。しかし、選挙においては大きな力を持っているので決して侮ることは出来ません。
台湾の主体性は、台湾海峡を隔てて台湾を併合しようとしている中国の野望によっても脅威に晒されていて、これもまた大きな問題です。

  私は「台湾海峡の平和とアジアの安全」という論文の中で、「中国が台湾を飲み込むことは中国の国事であり、共産党としては台湾を併合しなければ、国家の統一が行われないので絶対に併合する」とはっきり書いています。中国はすでに二〇〇五年三月十四日に「反国家分裂法」を制定して、これをもって台湾を侵略した場合における正当性を主張しようとしています。

  アジアにおける第三の民主国家と思われるいくつかの国の執政者は、アジア的な価値観を依然として持っています。アジア的な価値観、エイジアン・バリュー(Asian value)とは何かというと、皇帝的な支配体制を言い、政権を握ると独裁的になり、自分の家族や自分個人を中心とした考え方をし始め、国家全体のことを忘れてしまう。これが大きな問題なのです。シンガポールもマレーシアも、反民主主義的なアジア的な価値観で統治されており、その中でも一番ひどいのは北朝鮮です。北朝鮮は共産主義国家であり、エイジアン・バリューというよりは完全に非民主国家なのです。

  しかし、だからと言ってアジアの伝統がすべて無駄だとは思っていません。私はよく「日本は進歩と伝統を維持しながら、それが同時に行われる国だ」と言っていますが、日本では技術や経済の発展が続いている状況にありながら、伝統的なものは失われていません。東京財団の日下公人理事長はその理由について、「日本は道徳を持っているからだ」と指摘しています。また、「道徳というのは土であり、日本の経済発展はこの道徳という土の上で初めて成立することができる」とも指摘しています。

  私が二〇〇四年十二月二十七日から翌年一月二日にかけて訪日した時の日本の印象は月刊「Voice」(二〇〇五年三月号)に「日本の印象|私のセンチメンタルジャーニー」と題して発表しましたが、進歩と伝統に於いて日本は国の品格を保っている。百貨店から旅館から新幹線から、サービスの状態を見ただけで「蓄積された経験」、すなわち日本なりの伝統が失われてないことがよく分かるという旨を書きました。

  最近、日本で数学者の藤原正彦氏が「国家の品格」という本を出し、話題になっていますが、これは素晴らしい内容の本です。藤原氏はこの中で、「日本が持っていて外国にないものは何かというと、情緒と形だ」と指摘しています。これが日本の特徴で、私が取り上げた武士道という日本精神がそれを支えているとも指摘しています。―日本はアメリカや西洋における合理主義とは少し違うものを持っています。アメリカや西洋には合理主義を基礎にして社会的統一ができます。

  ところが、日本は合理主義を持ちつつも武士道精神があるため、この伝統が失われていない。日本では若い人も、ここら辺の問題だけはきちっと守っています。

  日本では伝統が守られており、そして道徳体系が形成されています。道徳という土壌の上に初めて経済とか、二十世紀の発展とかが成り立っているのです。

  ところで、この土壌が国際化、すなわちグローバリゼーション(globalization)に非常に密接な関係を持ってきています。今のグローバリゼーションの過程において、道徳は二つの世界において大きなヒントをもたらしています。一つはマスコミュニケーション(mass communication)の世界、もう一つはお金、資本の世界です。いずれももの凄いスピードで世界をめぐり回っていますが、この中において必要とされるものは何か。それは、人に信じられる国ということです。技術的に信用できる国とは、道徳的な体系を持った国である訳です。ですから、マスコミュニケーションの世界においても資本の世界においても、信用ということが第一となると、いかに道徳が大切かということを自ずと理解できるはずです。

  私が「武士道-解題」を書いたのは、ここにも関係があります。こういう問題の基本はやはり伝統であり、日本的に言えば情緒と形の中にあります。「奥の細道」に見られる芭蕉の情緒、日本的な美学的な考え方、これが日本精神の特徴なのです。

  日本ではかなり昔から儒教思想が入ってきているようですが、日本的な考え方と儒教とが決定的に違う点が一つあります。それは何かと言うと、生死の問題で、死という考え方が儒教の精神にはありません。ところが日本には、山本常朝の「葉隠れ」にも「武士道とは死ぬことと見つけたり」という有名な一節があるように、まず死が前提としてあり、そこからどのようにしたら上手く精神的に高揚しつつ生きていけるのかということが精神的な基本になっています。日本精神の基本は、決して儒教の礼儀や勇気、あるいは忠義とかにあるのではなく、これらの考えは日本にも初めから存在していたのです。

三、問題群とその解決

  外的要因-中国による台湾併合問題
  次に、危機を引き起こす脅威のファクター(要因)ですが、要因それ自体が問題群なのです。要因とは今起こっている問題であり、この問題群を我々はどのように解決すべきかという問題なのです。台湾における問題群とその解決については、大きく二つに分けられます。一つは外的な問題、一つは内的な問題です。

  外的な問題、すなわち国外の問題の中に中国の台湾に対する併合があります。中国は台湾を併合するため、軍事的、経済的、政治的にかなり強い圧力をかけて来ています。これに対する台湾側の対応に問題があります。

  例えば、一九九五年に私がアメリカを訪問して母校のコーネル大学で講演した時、中国は軍事演習と称して台湾近海にミサイルを撃ち込んできました。また翌九六年の総統選挙の時も、中国はまたもやミサイルを発射して台湾に軍事的な脅威を与えました。それに対して我々は何をやったか。

  私は総統選挙の時に、この外的な中国の脅威に対して、選挙民に二つのことを呼びかけました。一つは、ミサイルの弾頭は爆弾ではなく、実は計測器だからそんなにビクビクしなくていい。我々は十八個のシナリオを持っている、と訴えました。

  このシナリオというのは、国家の最高会議の下、行政院において民主的な結束を求める結束会議が行われ、一九九五年から九六年にかけて八回くらい検討しました。その内容を簡単に言えば、中国から脅威を受けた時に一番困るのは、人民が銀行から慌ててお金を引き出すことで、そういう場合にどうするかという検討でした。このケースでは、預金の準備金を各銀行に与えておくことが最善の対応策で、銀行は落ち着いていられるし、人民も困ることがありません。当時、五百億元の預金準備金を中央銀行で準備しました。第二は株式市場の混乱を回避することで、株式市場に対しては二千億元の安定資金を組みました。第三は何かというと航空の安全区域、いわゆる管制区域を各国に通知することでした。ミサイルが通る区域を、民間航空会社に気をつけるようにと通告を各国に出しました。第四は食糧の貯蔵問題で、あの時は七ヵ月分の米を倉庫に貯蔵せよという命令を出しました。また、軍はどうすべきなのかということについて、軍として固本計画で、いつでも対応できる姿勢を取れと発動しました。

  我々は一九九〇年から九六年の間に於いて、中国との間で貴重なインフォメーションをたくさん持っていました。ですから、台湾に対するミサイルの攻撃や軍事演習というのは心理的作戦であって、実際の武力侵攻はやらないというところまで摑んでいました。従って、我々が慌てて大規模な軍隊を動かしたりすると、人民に不安を与え、大変な事態が起きることは予想できたので、中国の演習が心理的作戦であることを見抜きつつ、しかし我々としては備えるべきものは備え、何があっても困らないように低姿勢でやっていくことを検討しました。

  問題別には恐らく三十個以上のシナリオを作成しました。そして、このシナリオを着実に実行しました。人民にはある程度報告しなければならないので、私は総統選挙の時、「十八個のシナリオを持っているから、心配するな!投票に出なさい」と呼びかけたのです。

  中国の台湾併合に対する軍事的、政治的、経済的な今の状態からすると、軍事的に台湾を併合することはだんだん不可能になってきています。そこで中国は、今まで鞭を持って台湾を叩いてきましたが、今度は飴をしゃぶらせ始めました。台湾の商売人に呼びかけたり、台湾のマスコミを抱き込むなど、いろいろな方法を使って、経済的にも政治的にも何とか台湾を陥落させようとしているのです。

  目的は二〇〇八年の総統選挙にあるのです。この選挙で親中国の政府が誕生すれば、台湾に対する政策は非常に簡単に実行できるようになります。一日か二日で台湾を占領してしまえば、アメリカも日本も手を出せなくなる。どうすることもできません。そうすると中国は「これは国内戦争だ。あなた方は手を出してはいけない」と宣言する。これが中共の政策なのです。
このように台湾は軍事的、政治的、経済的に中国に脅かされていて、この外敵問題に対して我々は中国の台湾攻略は不可能であると相手に思わせる様なシナリオを作成して対策を考えなくてはならないのですが、現在の対応の仕方からはそれがまったく見えて来ません。

  内的要因-問題群
  1、軍事保護の不足
  また、内的な問題として、アメリカからの武器輸入問題があります。最近、台湾が軍事予算を組まないということで、アメリカが腹を立てています。

  十年以上かけて私がアメリカに要求してきた潜水艦八隻売却問題は、二〇〇一年にジョージ・ブッシュが政権を取ると同時に公布したのですが、その時、陳水扁政権は黙っていました。その後、国会で軍事予算を通そうとしていますが、二〇〇四年の総統選挙では通る見込みはなかったし、中国がこれを邪魔してきているから、どうにもなりません。

  台湾の存在を本当に維持するためには、自分で国を守らなければならない。日本やアメリカに頼るわけにはいきません。アメリカに頼るという考え方は、アメリカ人からすれば「台湾は自分で守らないで、我々の子弟を犠牲にして台湾を守れというのか」という問題が出てきます。従って、軍事的な保護のために一番大事なことは何かと言うと、武器の購入であり、絶えずこれをやっていく必要があるのです。

  面白い話があります。台湾がF16をアメリカから購入した時、社会党の土井たか子党首が台湾にわざわざやって来たことがあります。彼女は台湾が戦闘機を買ったことがよくないと考えていたようで、私に「なぜ飛行機を作るのか。なぜ買うのか」ということを二時間くらいかけて聞きました。私は「国を守る、これは総統の責任である。自分の国は自分で守らなければならないという原則を知っていますか」からはじめて、なぜF16を購入しなければならなかったのかを説明しました。

  当時台湾で使っていた戦闘機はF5Eで、F5EにはJとGが付いています。JというのはJAPANのJ、GというのはGERMANYのGです。アメリカは日本やドイツで使って、もう使えなくなった飛行機を台湾に売りつけたのです。私が総統になった頃、このF5Eが毎週一機必ずといって良いほど墜ち、そのたびに、私は遺族のもとに行ってお詫びして慰ましたのです。その時の気持ちを土井党首に話しました。「あなたは分かりますか。人民、そして国を守るパイロットが一週間に一人ずつ死んでいく私たちの気持ちが分かりますか」、「それでも私たちは、自分の国は自分たち達で守らなくてはいけない」と。それ以来、彼女は来なくなってしまいました。

  軍事的な保護は武器の購入によって補っていかなければなりませんが、今、台湾は武器の購入をほとんど中止しています。例えば、日本はミサイル護衛艦として、イージスシステムを搭載した艦艇であるイージス艦を四隻保有しています。このイージス艦は対空戦闘能力に非常に優れ、艦隊防空の要となっています。ミサイル防衛のための移動基地のような艦艇です。
台湾は愛国者ミサイルの基地を一つしか持っておらず、軍事的な保護のためには、この移動基地のようなイージス艦をアメリカから買わなくてはなりません。ところが、アメリカが太平洋艦隊の武装を完全に変えるためには八年くらいかかります。八年も待たなければなりません。

  2、国家アイデンティフィケーションの確立
  第二は何かと言うと、国家の認同、アイデンティフィケーション(Identification)の問題です。この問題は、台湾の人々に「お前はどこの人間だ」と聞いて「私は台湾人だ」と答える人はなんと五〇数パーセントしかおらず、これまで最高でも六〇パーセントくらいでしたが、おそらく最近は、更に減ってきていると思います。日本人に「お前はどこの人間か」と聞けば「私は日本人だ」と全員が答える。しかし、台湾人にこういうことを聞くと、考えてから答える。自分がどこの人間かはっきり分からない人がまだいるのです。

  現在、李登輝学校で台湾人研修生に、台湾を認識して台湾という国をアイデンティフィケーションしなさいと教えていますが、なかなか時間がかかるし難しい問題です。
なぜなら、台湾は国家としての形成が十分でないからであり、国家として明確な形がとられていないからなのです。「二十一世紀台湾の国家総目標」にも、「国でありながら国ではない」台湾の悲哀について述べ、台湾を主体とした国家的アイデンティティーの確立について提言しています。

  台湾は実質的には一つの独立した主権国家であると言われていますがああ、法理的にはどうかと言えば問題があります。台湾の実情が法理的に反映されていないという問題が残っています。つまり国家の形成が十分ではないのです。

  では、どうすべきか。台湾を台湾としてアイデンティフィケーションできるのは民主化であり、その過程で最後に残るものは何かと言えば、人民が自分の国を自分の国として認めるという基本的な問題なのです。そのために、台湾においては新憲法の制定を通して国家に対するアイデンティティーを確立すべきことを「二十一世紀台湾の国家総目標」でも提言しています。

  3、民主化の過程における族群対立の解消
  第三は、民主内戦の問題です。今、台湾の内部においては民主化の過程における族群(エスニック)間の対立が続いています。国会を中心にした民主内戦とも言うべき問題なのです。この背景にあるのは族群の対立や権力争い、あるいは反民主勢力とのイデオロギー的な争いです。日本でも一時期、左翼と右翼の対立が激しかった頃がありましたが、台湾では今もってイデオロギー的な争いが続いています。
どこに原因があるかと言えば、政権党である民進党の政権運営の経験不足から有効な対策が講じられていないことにあるのです。民進党は何をやっていいか分からないようであり、政権運営の経験不足、包容力の不足、ここに問題が潜んでいるのです。

  4、独占資本主義
  第四番目は、独占資本主義の問題。今、台湾では独占資本主義が進んでおり、これが大きな問題となっています。現在の金融問題から株の問題まで、国民党時代に国営企業や国民党に集中した財産をどう分配するか、どういう形で行うかということなのですが、これが十分に行われていないため、独占資本主義的な形が現れてきており、その結果、台湾では所得の分配が非常に悪くなってきています。

  5、経済の空洞化
  第五番目は経済の空洞化です。恐ろしいことに、中国大陸に投資している台湾資本の総額は約二千八百億ドルにも上り、全世界の中国への投資の半分に当たり、毎年、台湾の国民所得の四パーセントないし五パーセントが中国大陸に行っていいます。日本でも中国投資が進んでいるというが、せいぜい〇・五パーセントかそれ以下にとどまっています。台湾ではこの中国大陸への投資によって、商業主義的な中国化が進んでいます。

  現在、台湾から中国大陸への輸出は三七パーセントで、台湾は日本やアメリカから取り付けたオーダーを台湾ではほとんど作らずに中国大陸で製造し、中国大陸から日本やアメリカに輸出しています。結果として、台湾では失業率が高くなっています。私のときは二・四パーセントほどだったのに、現在では五・三パーセントにも上がっています。

  最近になって失業率は下がってきていますが、これは産業が発展したからではありません。これは政府の救済策によるもので、年間約二百億元を拠出し、仕事のない人間を公共事業に携わらせた結果、失業者が減ったのです。従って、資金は中国へ流出しているにもかかわらず、公共事業の資金はどんどん増やさなければならないという状況になっているのです。

  6、行政能率の低下
  第六番目は行政能率の低下。なぜ行政能率が低下したかと言うと、民進党は政権を握ったばかりなので、政権に関係した人にポジションを与えることによってエリートが排除されてきました。その結果、官僚は責任を負わされたら困るため、責任を持たなくなる。官僚が無責任になると行政能率の低下を招き、その結果、何が起きるかというと汚職が起きる。そして、その腐敗が深刻な社会問題となっているのです。

  台湾では行政能率がなすます低下して、あらゆる重大な工事や計画には汚職が付きまとっています。一番大きいのは台湾新幹線に絡んだ汚職ですが、今後、大きな問題として出てきそうです。

  7、永続的な発展
  第七番目は永続的な発展。台湾には永継発展という問題があります。永継発展とは何かと言うと、台湾では土地をでたらめに開発するなどしているため、土壌維持が悪く、そのために雨が降れば土石流が発生し、土壌が破壊されて環境が悪化するという事態を招いています。これが結局、現代における永続発展に大きな影響を与えているのです。

  先ほど述べた第二番目の国家アイデンティフィケーションの問題も、最後に来るのが永続発展の問題なのです。結局、環境を整備し土地利用の問題をやらなくてはならないのです。

  8、領導方式
  第八番目は領導方式です。台湾の国家領導の形態はこれまでエイジアン・バリュー(アジア的価値観)型、つまり皇帝型の領導方式が行われてきており、これが人民を圧迫してきました。先にも述べたように、皇帝的な支配体制は、政権を握ると国家運営という大事を忘れ、自分の家族や自分個人のために独裁的になる傾向が強く、大きな問題となっています。
やはり皇帝型領導方式は台湾の統治形態としてふさわしくありません。台湾はあくまでも民主的な統治形態に基づく領導方式をとるべきなのです。

  以上が現在における台湾の問題群です。この中には、外交問題も文化問題も科学技術の問題も入っています。結局、民主化を強化して、正常な国家へ邁進するために解決しなければならない主な問題なのです。

  国家の盛衰を決めるのは、強力なリーダーがいること、明確な国家目標を持っていること、アイデンティティーが確立されて団結していること、この三要素が非常に大切です。「国家の興亡」を書いたアメリカのポールダグラス教授には「国家の興亡」という著書がありますが、後にニクソンをテーマに「指導者の条件」を書いています。また、京大の中西輝政教授や石原慎太郎東京都知事にも国家の指導者をめぐる著書があり、指導者に関しては各国で問題となっています。

  私も、台湾は指導者の問題だと考えています。指導者は近代的かつ合理主義的な考え方に立ち、伝統を重んじたやり方を工夫する必要があるのです。

四、問題の解決

  そこで、これまで述べてきた問題群はいったい何から解決したらよいのかということになります。すなわち台湾の危機存亡を救う道の優先順位、プライオリティを設定しなければなりません。

  実は、第三回台湾李登輝学校研修団に参加した伊藤英樹さんが、「台湾の法的地位」という論文と、その序言に当たる「台湾は事実上のみならず法律上も主権独立国家である|台湾人のアイデンティティーを喚起する為の緊急提言」という文章を書いています。伊藤さんは、これからの台湾はどうすべきか、台湾の憲法はどうすべきか、台湾のアイデンティティーはどうしたら高めることができるのか、ということを研究するために研修に参加した方で、研修が終わった後、この論文を書いて、今年の三月の初めころ私の手元に届きました。

  そこで、問題群を解決する順序を考え、討議するためには格好の参考意見になるのではないかと思い、問題提起の概要が書いてある「序言」を紹介してみたいと思います。

  「貴方のお国は何処ですかと聞かれたとき、日本人で「日本です」と答えることに躊躇を覚える人はいないだろう。或いは「私は日本人である前に地球人であり、世界市民である」と言う輩がいるかも知れないが、そういう間抜け、能天気は論外だ。

  ところが、台湾人は間抜け能天気どころか、頭脳優秀な者でも「私の国は台湾です」と言うことに躊躇、戸惑いを感じるはずだ。否、頭脳優秀な者ほどそのような思いに捉われるのではないだろうか。何故なら台湾という「島」はあっても台湾という「国」の存在に確信を持てないからだ」ここに問題が残されている。国の形成が十分になされていないために起こってくる問題だ。

  (一)「台湾は事実上の主権独立国家である」という事実上独立説の問題点。
  李登輝さんはアメリカ訪問の際「台湾は事実上の主権独立国家であるから、改めて独立宣言は行わない」と言われた。この様な考えは李登輝さんに限らず広く一般的なものであり、それ故マスコミはアメリカでの発言に対して「独立宣言を行うべしとの従来の立場を譲歩したもの」との評価をするだけで終わらせているのが、目に触れる限りの全部であった。しかし「事実上の独立国家である」との発言には、以下に記す非常に大きな問題を孕んでいることに注目しなくてはならない。

  その一つは、「台湾は事実上の主権独立国家である」ということは、これを裏から捉えれば「台湾は法律上は主権独立国家ではない」ことになることである。

  その結果どうなるかといえば、例えば中国が台湾への侵攻を開始しても、台湾は国際法上の概念である主権侵害を理由に国際社会に救済を求めることが出来ないし、中国は中国で世界諸国からの主権侵害との批判を恐れることもないことになるのだ。或いは、こんな論議は現実離れの観念論にすぎないとか大げさに過ぎると思う人があるかもしれない。しかし現実に台湾侵攻が開始された後では決定的に重要な役割を果たすことになるのだ。何故なら世界の諸国は、力を前にしたときは、たとえ其処に不正を感じても可能な限り不介入のための口実を探し求めるからだ」恐らくアメリカも同じだし、日本政府も同じことをやるでしょう。介入できなくなる。それは、伊藤さんが指摘しているように、台湾は事実上の主権独立国家ではあるが、確かに法理的には問題があります。法理的に主権独立国家として明示されていない限り、このような事態を招く可能性は否定できないのです。

  「もう一つの問題点は、「事実上の独立」というところの「事実」の頼りなさである。ここに「事実」とは具体的には「台湾経済」と「台湾人意識」が主に考えられるが、これらは崩れ易く不安定であるということである。

  あらゆる混沌を含んだものとは言え、中国経済の発展は目を見張らせる。アジア経済における存在感は増加の一途を辿り、アジアを丸ごと飲み込まんばかりである。日本の対中依存度も危険水域に達しているようだが、台湾経済のそれは日本の比ではないようだ。
〇五年度の対中国投資予想は、台湾がGDPの四%、日本は同〇・〇五%、アメリカは同〇・〇三%である。

  とすれば、将来に於ける経済的独立性は極めて危ういものと考えても不自然ではない。では、台湾人意識の方はどうであろうか。現在のところは台湾人意識の強いとされる民進党などの独立派と中国人意識の強いとされる国民党等統一派は拮抗しているようだ。しかし、経済的一体性が強化されるに反比例して、台湾人意識が後退することを香港などの例は示しているのではないだろうか。

  そして、この様な台湾人意識の希薄化は更なる大陸への投資を促して大陸経済との一体化をもたらすという悪循環を招くはずだ。以上「事実」に依存した独立は当てにならないのである。

  (二)法的主権独立国家となるための独立派の論理の問題点
  これまで述べてきたような事実上説の限界を考慮してのことか、法律上の主権独立国家たることを願う台湾独立派は、近年ロシアから独立し新たに法的主権独立国家となった例に見られる様な、「先ずは新国家の創設を宣言し、然る後に国際社会の承認を得る」方途を図った。

  しかし、かつてはロシアの一部であった部分が分離独立したロシアの例の丸写しという訳には行かないのである。何故なら、一部独立の場合は かつてロシアが実際に行ったことであるが、国際法上、分離独立されそうな国家は、内乱鎮圧の名の下に分離独立しようとする集団に対し武力行使の権限を有するからだ。例えば、九州が独立しようとしたとき、日本政府は武力を以って鎮圧することが国際法上認められるし、国内法上も内乱罪としての刑法の適用が定められている。

  そこで独立派は、蒋介石による国民党統治の全面否定を試みることになった。もし蒋介石の台湾統治を有効なものとすると、国際法上は人民共和国が蒋介石統治の地位を継承したことになっているために台湾が人民共和国の一部であることになり(※)、その結果、前述の様に、内乱鎮圧という名の下に大陸からの武力侵攻を受けることになってしまうと考えたからだ。

  独立派が台湾について日本から中華民国への返還を唱えるカイロ宣言を無効とし、またサンフランシスコ条約は台湾の中華民国への帰属を定めていないとし、更には国民党憲法を無効(その結果として独立派は新憲法の制定を訴える)とするのも、多くはこのような考えの下に蒋介石統治を否定しようとするものである。
※(但し、拙論においてはその様な考えを否定する。)」

  伊藤氏のこの考え方は現在の実相からは否定されますが、我々も冷静に考えなければならない指摘であると思います。

  「しかし、一時は国連の常任理事国まで務め しかも長期に及んだ蒋介石統治を、全くなかったものの如く全否定する論理にはそれ自体無理があり、到底国際社会の理解を得られるものではない。また、その無理は更なる無理を招くことにもなる。例えば蒋介石統治の否定は、その統治の上に成り立ち且つ積み重ねられた蒋経国、李登輝、更には現在の陳水扁統治をも否定することになり、また それ故これまで行われた課税など全ての行政行為も根拠を失い、納税済分などはそれこそ「全額返還!」ということに成りかねないのである。

  従って蒋介石統治の全面否定などということは絶対に成り立ち得ない。

  独立派の考え(先ずは独立宣言をして然る後に国際社会の承認を得る)には以上の問題に加えて更に大きな難点がある。それは、公平に見て仮に独立宣言を強行したところで、その先の国際社会の承認を得るという可能性は極めて少ないのではないか、という点である。

  おそらく中国が台湾を武力侵攻したときは諸国が中国を批判して民主台湾を支持するであろう。しかし更に進んで、台湾が独立宣言をしたとき独立の承認をするかと言うと話は別である。何故なら、日本やアメリカですら「台湾が中国の一部であるとの中国の主張を「尊重する|日中共同声明」とか「認識する|上海コミュニケ」とし、かつ両国が台湾に対し現状維持を求めざるを得ないほど譲歩を強いられているのが国際社会の現実であり、そうだとすると台湾との関係が希薄な他の諸国の承認はなお一層期待できないからだ。特にフランスやドイツに至っては(アメリカの反対で辛うじて延期したものの)平然と中国に武器の売り込みを試みるくらいであるから、独立の承認どころか武力侵攻があったとしても批判すら期待できないのである。

  この様な厳しい現実は独立派と雖も良く認識しているはずだ。とすれば陳総統が独立宣言(=新憲法制定)をしないことをもって強く非難するのは、新憲法制定が如何に公約とはいえ、単に非難のための非難をしているだけのことでしかない。また万一認識していないのであれば、それは余りにも楽観的に過ぎ最早一国の政治を論ずる資格はないとせざるを得ない。

  (三)冒頭で 「頭脳優秀な者ほど「私の国は台湾です」と言うことに躊躇、戸惑いを感じるはずだ」とし、又「台湾という「国」の存在に確信を持てない」としたのは、以上の意味に於いてである。

  我が愛する台湾が存亡の危機にあるのだ。台湾の危機は日本の危機でもあるのだ。世界で最も敬愛する李登輝さんの努力を水泡に帰させて良いのか。確かに大陸の自滅の可能性は少なくないが、それだからと言って手を拱いて、唯自滅を待つことしか出来ないのか。それまで台湾はもつのか。

  -何か台湾を救う論理はないのか-
  それが有ったのだ。その内容は、かつて蒋介石政権が有していた国際的地位を活用するもので「台湾は新たなる国際社会の承認を待つ必要はなく 既に法的主権独立国家である」とする。即ちこれを独立派の考えと比較すれば、法的主権独立国家たる地位の取得について独立派が新設国家に対する国際社会の承認という形態で「新たに取得」しようとするものであるのに対し、拙論は蒋介石政権の有していた地位を継承して「既に取得」しているとするものである。

  これが彼の考え方ですが、ここに指摘されているように、台湾には大きな問題が残されており、彼の指摘もその一つであって参考になります。また、私がこれまで指摘してきた諸問題を解決しないが故に起こっている問題も少なくありません。例えば、エスニックの問題、つまり、族群の衝突の問題です。また、国家における様々な問題もこれに起因していることが数多くあります。

  詳細は別紙拙論「台湾の法的地位」によることとするが、拙論によれば、
  (1)台湾人自身が、確信を持って「私は台湾人である」と言えるようになる、はずだ。何故なら、これまで「台湾人意識を持てとか、台湾人としてのアイデンティティーを確立しよう」と叫ばれながらも今ひとつ深い共感を得られなかったのは、人々がそのような意識ないし愛国心を持とうとしても、その対象となる「国家」の存在即ち台湾が法的主権独立国家であることを提示されなかったことが大きな要因と考えられるからだ。

  台湾という国は未だない。だから、それに対するアイデンティティーを持てと言っても無理ではないかと彼は指摘しています。ここには確かに道理があります。早く正常な国家を造れと我々が言っているのは、まさにそのためなのです。

  (2)また拙論によれば、改めて独立宣言をする訳ではないから、中国は現状変更という言い掛かりをつけにくい

  台湾と中国との内乱は、私が中華民国第八代総統に就任して三年目の一九九一年五月一日に「動員戡乱時期臨時条款」を停止し、中国大陸の北京政府に対して、北京政府は有効に中国を統治し、台湾は台湾、澎湖島、金門、馬祖を有効に統治していると宣言したことで終わっています。従って、中国にいろいろ言われる謂れはないのです。

  (3)更に世界各国も台湾の国連加入に反対する論理上の根拠を失い、他方、日本とアメリカはそのような状況によって加入を支持し易くなる、ということを強調したい。独立派はこれまで、唯、アメリカの支援を求めるばかりで、アメリカが支援し易い論理的状況を提示していなかったように思う。

  以上が伊藤氏の「序言」の全文ですが、台湾は日本政府に対しても、台湾の国連参加を要請しつつも、台湾自体が一つの国を形成する努力を行っていません。これが基本的な大きな問題で、台湾という国の存在を如何にして守っていくかということを考えていないのです。こういうことをやろうとすると、日本政府をはじめ外国からの反駁を招くことになります。

  伊藤氏は「台湾の法的地位」についてはさらに詳しくどうすべきかという案を提出しており、結論は二つあります。一つは、憲法を新たに制定せず、中華民国憲法を改正すればいい、ということです。

  私は総統在任中に六回も憲法を修正しました。その中で一番問題だったのは第四条の領土権限についてでした。中華民国憲法では領土の範囲について、第四条で「中華民国の領土は、その固有の領域による。国民大会の決議を経なければ変更することができない。」と定めていますが、これを修正しなければなりませんでした。なぜなら、この「固有の領域」には台湾が含まれていないし、中国大陸とモンゴルが含まれていたからです。

  このような憲法であったので、台湾に合うように修正しなければなりませんでした。台湾の政府形態を内閣制にするのか総統制にするのかも、憲法修正によって決めなければならなかったし、中国向きに書いてある条項をすべて捨ててしまわなければなりませんでした。そこで、私が総統在任中に六回も憲法を修正したので、憲法修正をすればやり易いのではないかという問題意識がまだ残っています。

  台湾にはもう一つ大きな問題があります。今でも中華民国を名乗っていて、台湾に変えたらどうかという問題です。そこで伊藤さんはもう一つの結論として、現在の台湾は事実上も法的にも主権独立国家たる地位を有するが、台湾化した実体との乖離を憲法で修正せよとしています。

  私の考えとしては、台湾の危機存亡を救う道として、その優先順位はまず人民の国に対する愛国心を促進することにあります。これが第一です。台湾人としてのアイデンティティーを確立するためには、早く国を造り、形成し、後はこれに基づいて民主化の過程においてやるべき仕事なのです。

  その点で、私としては伊藤氏の考え方はまだ熟しているとは言えないと思うが、台湾は二十一世紀台湾の国家目標を定めることで、パラリウム問題を改めて検討していかなければならないのです。

五、政局の再編成

  現在の台湾を救う道は二〇〇八年の総統選挙にかかっています。二〇〇八年の総統選挙は、現在の台湾の現状からすると、極端な二つの立場に持っていかないような形が必要で、ここでは中間路線を強調しなければならないのではないかと考えられます。台湾の現状からすると、そうなる可能性は十分あります。

  なぜそのような可能性が出てくるのかというと、民進党にしても国民党にしても、内部的な分裂が行われつつあるという事実から見て、台湾の将来のあるべき道としては中間路線が選択肢として浮上し、結局これが政局を調整する唯一の道ではないかと思うのです。

  この台湾の政局の調整という問題に関しては、日本でもアメリカでもシナリオはあまりはっきりしておらず、非常に心配しているようです。そこで、冒頭に述べた第三勢力、サードパワーを基にして考えていったらどうかと提案すると、たいてい頷きます。このサードパワー問題をどうするかは非常に難しいのですが、日本には努力していただけるのではないかと思っています。
私の結論としては、台湾はどういうシナリオをもって対立的な政治状態を脱し、一つの安定的な政局を作り出せるのか、そのシナリオを真剣に考えなければならないということです。それが現在の私の希望であり、最大の関心事なのです。これをもって私の講演を終わらせていただきます。

  実は、私がこのような考えを持っていることを明らかにしたのは、この台湾李登輝学校研修団が初めてで、皆さんも一生懸命研究してみてください。この問題についてお互いに、台湾内部でも国際的にも討論したいものです。それによって、台湾は一つの国家が形成される。私は台湾人だと言えるように努力しましょう。ありがとうございました。