日本文化の特徴

2006年11月8日
李登輝

はじめに

  一国の文化の形成は、一般的に云って「伝統」と「進歩」という一見相反するかのように見える二つの概念を、いかに止揚(アウフヘーベン)すべきかという問題にも帰するわけですが、「進歩」を重視するあまり「伝統」を軽んずるというような二者択一的な生き方は愚の骨頂だと思うのです。最近の日本では、一般的に、あまりにも物質的な面ばかりに傾いていると言われますが、その結果、皮相な「進歩」に目を奪われ、大前提となるべき精神的な「伝統」や「文化」の重みが見えなくなってしまっています。しっかりした「伝統」という基盤があるからこそ、初めてその上に素晴らしい「進歩」が積み上げられるのであり、伝統なくしては真の進歩など、あり得ないのです。

  有史以来、日本の文化は大陸などから滔滔と流れ込んできた変化の大波の中で、驚異的な「進歩」を遂げ続けてきたわけですが、結局、一度としてそれらの奔流に飲み込まれることもなく、日本独自の伝統を立派に築き上げてきました。

  日本人には古来、そのような希有なる力と精神が備わっているのです。外来の文化を巧みに取り入れながら、自分にとってより便利で都合のいいものに作り変えていく――このような「新しい文化」の創り方というのは、私は一国の成長、発展という未来への道にとって、非常に大切なものだと思っているのです。そして、こうした天賦の才に恵まれた日本人がそう簡単に貴重な遺産や伝統を捨て去るはずはないと私は固く信じています。
 
  では、日本文化とは何か?その結論を言わなければなりません。私は高い精神性と美を尚ぶ心の混合体が日本人の生活であると言わざるを得ません。

一、高い精神性の文化

  日本及び日本人特有の精神は何かと問われれば、私は即座に「大和魂」あるいは武士道であると答えるでしょう、武士道とはかつて日本人の道徳体系でした。封建時代には武士が守るべきことを要求されたもの、もしくは教えられたものです。それは成文法ではない、精々、口伝による、もしくは数人の武士、もしくは学者の筆によって伝えられた僅かの格言があるに過ぎず、むしろそれは語られず、書かれざる掟、心の肉碑に録されたる律法たることが多いのです。不言不文であるだけ、実行によって一層強い効力が認められているのです。それはいかに有能なりといえども一人の人の頭脳の創造ではなく、またいかに著名なりといえども一人の人物の生涯に基礎するものではなく、数十年、数百年にわたる武士の生活の有機的発達でありました。それがやがては日本人の行動基準となり、生きるための哲学にもなりました。具体的には武士道精神は公の心・秩序・名誉・勇気・いさぎよさ・測隠の情・躬行実践を内容にしつつ、日本人の精神として生活の中に深く浸透しました。

  『武士道』で新渡戸先生は、武士道の徳目としてまず「義」を挙げています。「義」とは一言で言えば卑劣な行動を忌むということです。そしてそれは個人や「私」的なレベルに閉じ込めるべきものではなく、必ず「公」のレベルにまで引き上げて受け止めなければならない観念です。

  そして次は「勇」です。「勇」は「義」と密接に結び付くもので、義のない勇気など全く価値がありません。昭和天皇の「降り積もる雪に耐えて色変えぬ松ぞ雄々しき人もかくあれ」の御製などは、まさにこの「勇」と「義」を止揚するものにほかなりません。更には愛である「仁」があります。そしてそれと密接に結び付くもの、つまり他人の感情を尊敬することから生じる謙虚、慇懃の心である「礼」があり、「礼」には絶対不可欠なものとして「誠」を挙げています。そして日本人が人倫の最高位に据えてきた、名誉の掟というべき「忠」があります。このような徳目が不即不離のものとして渾然一体となったものが武士道であると新渡戸先生は説いているのです。

二、武士道の淵源

  世界に誇る日本精神の結晶ともいうべき武士道の形成について新渡戸先生は、日本で営々と積み上げられてきた歴史、伝統、哲学、風俗、習慣があったからこそだと言っています。もちろん武士道の淵源には、仏教(禅)、中国の儒教、日本古代からの神道の影響も挙げられますが、実際は中国文化の影響を受ける以前からの、大和民族固有のものだと論じています。死生観の上から言えば、儒教には「死と復活」という契機が希薄で、物事を否定するという契機がありません。だから儒教は「生」に対する積極的な肯定ばかりが強くなるという危険を孕むものです。善悪を定めた道徳ではありながら、死生観をはっきりさせていないため、人間個々の生きる意義と、そこに建てられる道徳との間にかなりのずれが生じているのです。儒教は「文字で書かれた宗教」とも言われ、所詮は科挙制度とともに皇帝型権力を支えるイデオロギーでしかなく、人民の心に平安をもたらすものにはなりませんでした。そのようなものを大切に推し戴いてきた中国人は、結局空虚なスローガンに踊らされ、それで満足してしまう、あるいは面子ばかりにこだわり、何の問題の解決もできないばかりか、かえって価値観を錯乱させてしまう訳です。
仏教が武士道に与へた冷静、沈着なる心のありようは、物質主義にとらわれている、現在の日本に最も欠けていることの一つと言えましょう。冷静に事態を受け止め、沈着に対処することが日本の方々にはできるはずです。ただし「生を賤しみ死を親しむ心」だけは私が肯定出来ない考え方です。生を賤しんで死を親しむ心ではいけない、本来持つべき死生観と言うのは死を知ることによって生をどうするかといる問題意識なのであって、生と言うのは非常に大事なことなのです、また死を親しむ心ではいけない。死は知ることが大切なのであって、死を知ることによって、生をどう生きるかと言う問題意識を持つことが何より大切なのです。「葉隠」の中の「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」と言うことは上述の生死に関する問題意識を示したものでしょう。

  新渡戸先生はクリスチャンです。彼は士族出身でもあり儒教的な教養を積んできた訳ですが、結局は儒教における死生観の不在から、キリスト教に道を求めたのではないかと思います。そしてキリスト教という新たな道徳体系の下で、武家時代の物理的かつ現実的な権力を維持するための狭義の武士道ではなく、精神的かつ理想的な生き方を追求するためにある、しかも未来永劫に通じる道徳規範としての、広い意味での「武士道」の価値を再発見したのです。彼によって再発見された「武士道」は、日本人の不言実行あるのみの美徳であり、「公」と「私」を明確に分離した、「公に奉じるの精神」とも言って良いでしょう。

三、日本文化の情緒と形

  日本文化の優れた面は、かかる高い精神性に代表される、即ち武士道精神に代表される日本人の生活にある哲学であると信じます。心底からこみ上げる強い意志と抑制力を持って個人が公のために心を尽くす以外に、また日本人の生活にある美を尚ぶ私的な面があることも忘れてはいけません。藤原正彦先生は、「国家の品格」の書物の中で、強く強調している情緒と形を日本人の生活内容と言っています。これは自然への感受性と調和であり、もののあわれ、さびとわびを生活の中に見つけ出す、日本人独特の、また、人間として普遍的になくてはならない美学が生活にあるのです。昔、中国で老子は「道可道非常道」と言って、道は口で言えるものでなく、口で言えるものは永遠に道ではないと言っています。日本人は生活において花を生けるには花道を、お茶を飲めば茶道と言う様に、生活におけるあらゆる行為が道となっています。それが俳句や和歌という様な形で表現されて、自然との間に共生的関係を持っています。これは世界の人々にはなかなか分かるものではありません。私が「武士道の解題」を出版し、そして更に奥の細道を歩きたい気持ちは、日本文化の優れた精神性と美学的な日本人の情緒を、何とか外国人や今の若い日本の人々に伝えようと考えたからです。直感的に、私は芭蕉の著作「奥の細道」は、この様な日本文化の美を丁度よくまとめたものであると思っています。奥の細道で平泉に到着した芭蕉と曽良が見たのは金鶏山でした。そして昔を偲びつつ、ぼう然と立ち尽くして詠んだのが「夏草や兵どもが夢の跡」でした。時間を越えて華やかな過去がすべて一つの草むらにしか過ぎません。

  山寺を訪れては、蝉の声の潮と周囲の静けさの中で「閑さや岩にしみ入る蝉の声」を詠みました。自然との調和、心にしみこんで何の説明もいりません。

  芭蕉は旅情のほてりが醒めやらず、最後の気力をふるい起こし、海岸沿いに越後の国に入ります。出雲崎に泊まった時に詠まれた「荒海や佐渡に横たふ天河」は、壮大な景観と佐渡への思い入れの入った句でした。

  「奥の細道」の旅行中に詠んだ以上の三句は、時間と空間、存在している景観を充分に情緒と形で表した日本人らしさの代表的なものでしょう。

四、日本旅行の感想

  昭和二十年八月十五日、名古屋城で終戦を迎えた私は数日を経て復員し、京都の下宿に戻ってきました。大学の講義が始まるまで、時間もありましたので、広島の原爆地を訪れ、また、佐世保の軍港に同学を訪問して、広く日本の戦争による荒廃を見て廻りました。旅行中、車の中で日本人の若者とも話しを交わし、これからの日本はどう建て直しできるかが討論されました。と同時に、故郷台湾が思い起こされてなりません。今、台湾はどうなっているのでしょうか、父、母、じいちゃんは元気でいるのだろうかと、心配でなりませんでした。

  その時から時間はすでに六十一年経過しました。父、母、じいちゃんは、皆、亡くなりました。私もじいさんになって一昨年に六十年ぶりに家族四人で日本を一週間訪問し、観光する機会を得ました。前回の旅行で私が強く感じたことは、日本は戦後六十年で大変な経済発展を遂げたということです。焦土の中から立ち上がり、ついに世界第二位の経済大国を造り上げました。政治も大きく変わり、民主的な平和国家として世界各国の尊敬を得ることができました。その間における人民の努力と指導者の正確な指導に敬意を表したいと思います。

  もう一つ感じたことは、日本文化の優れた伝統が進歩した社会で失われていなかったことです。日本人は敗戦の結果、耐え忍ぶしか道はありませんでした。経済一点張りの繁栄を求めることを余儀なくされたのです。そうした中にあっても、日本人は伝統や文化を失わずに来たのです。前回の旅行で強く記憶に残ったのは、様々な産業におけるサービスの素晴らしさでした。金沢では一流旅館ならではのきめ細かいサービスに驚嘆しましたし、新幹線も車内サービスの充実ぶりに目を見張りました。そこには戦前の日本人が持っていた真面目さや細やかさがはっきり感じられました。「今の日本の若者はダメだ」という声も聞かれますが、私は決してそうは思いません。日本人は戦前の日本人同様、日本人の美徳をきちんと保持しています。

  確かに外見的には、緩んだ部分もあるのでしょう。しかし、それはかつてあった社会的な束縛から解放されただけで、日本人の多くは今も社会の規則に従って行動しています。

  社会的な秩序がきちんと保たれ、旅館にせよ、鉄道にせよ、公共の場所ではそれぞれが最高のサービスを提供しています。ここまでできる国は、国際的に見てもおそらく日本だけではないでしょうか。さらに私が感じたのは、日本人の国家や社会に対する態度がここへ来て大きく変わり始めたことです。戦後六十年間の忍耐の時期を経て、経済発展を追求するだけでなく、アジアの一員としての自覚を持つようになりました。武士道精神に基づく日本文化の精神面が強調され始めたのです。私の書いた「武士道解題」を解説して下さった田原総一郎先生は結論として、『私のような戦後民主主義という論理に合わない事柄を排することで育った人間には、「武士道」には率直に言って少なからぬ抵抗感もあるが、だからこそ、今、武士道がブームを迎えているのであろう』と書いています。

  ここ二十年間、台湾にデモクラシーを持ち込んで、政治体制を変更した私が「武士道│解題」を書き、副題にノーブレスオブリージェをキーワードとして、指導者たるべき者の心構えを説くことを考えれば、民主主義と武士道精神の間には、なんら矛盾がないと思います。デモクラシーと言うのは、個人のことを考えるだけではなく、国民の声を聞いて、国家のために働く、武士道の精神でもあるのです。

五、むすび

  最後に、最近台湾で、「台湾民主化の道」と言うDVDが出回っています。二十年来の台湾の民主化の過程に於いて、私は国民党与党の指導者として、台湾の国民の声に耳を傾け、主流の民意を尊重し、それを改革の推進力として来ました。このDVDの中で台湾の民主化を進めた私に対して、「李登輝は一体何者や?」と言う問いが出ていました。それに対して台湾大学史学科の呉密察教授は、『李登輝氏は日本の大正世代に生まれ、徹底的に日本教育の薫陶を受け、忍耐、自制、秩序を重んじ、公の為に奮闘、努力する精神を身につけた人である』と返答しています。この答に対して、私は同意はしますが、日本的教育で、最も強調されている‘実践躬行’が述べられていません。一般的な教育に於ける知識の収得、思考する習慣は言われていますが、日本的教育の長所は、武士道精神によく表現される実践にあると言えるでしょう。私もその点では、知ること、考えること以外に、実践する能力に全ての意義を与えています。

  私にとって、人生は一回限りであり、来世はありませんから、一部の宗教が所謂「輪廻」を唱えるのも、私はそれを自己満足に過ぎない話だと思っています。実際に、「意義ある生」をより肯定すべきだと思います。なぜなら「生」と「死」は常に表裏の関係だと考えているからです。全ての原点は哲学に置き、すなわち「人間は何ぞや」というところから出発したのです。「人間とはなんぞや」、または「自分とは誰だ」という哲学的問題から出発し、自己啓発へ発進すれば、人格及び思想の形づくりが完成できます。「自我」の死への理解を踏まえたうえで、初めて肯定的な意義を持つ「生」が生まれるのです。しかし、自我をなくした後の自分は、誰が引き継いでくれますか?これは神にすがるほか答えが出ないと思っております。

  実際に、人間は単に魂(心)と肉体から構成されています。けれども精神的な弱さは更に高い次元の存在を必要とするのです。総じて言えば、私達には全ての権限を有する神が必要です。と言っても、すぐに信仰を持つようになるのも簡単なことではありません。信仰への第一歩は、見えないから信じない、見えるから信じることでなく、ただ信じること、実践することです。純粋理性から実践理性へと、もっと高い次元に生きる価値を見つけ出すことが、人生の究極の目標です。従って、この日本的教育によって得られた結論は「私は誰だ」という問いについて、「私は私でない私」なのです。この答えは私に正しい人生の価値観への理解と色々な問題へ直面する時にも「自我」の思想を徹底に排除して、客観的立場で正しい解決の方法が考えられました。これが日本の教育を通して私に与えられた人生の結論でしょう。