『文化・学術交流及び奥の細道の旅』についての感想

先生接見日本李登輝友の会熊本分会台湾研修団講話

2007年6月30日

日本李登輝友の会熊本分会台湾研修団、紀団長及び、団員の皆様こんにちは!

  ようこそ台湾にお越しくださいました。ご苦労様でした。心から歓迎致します。今回、十日間にわたり、日本に赴いて、文化、学術交流、及び一生楽しみにしていた「奥の細道」探訪の旅を、全部ではありませんでしたが、終えて、戻ってまいりました。この旅は、私にとって一生忘れることのない思い出となるに違いありません。

  一.まず、この度の日本旅行に於ける重要な紀事をお話しましょう

  日本に到着した翌々日、すなわち六月一日に「後藤新平の会」が主催する後藤新平賞の第一回授賞に、私がその光栄に浴し得たことは、無上の栄誉でした。後藤新平賞は画期的なものであるばかりでなく、新しい時代の創造的リーダシップを育成するものであると信じております。私はこの光栄を授賞式の謝辞としてお話した「後藤新平と私」の中でも強く強調して参りました。後藤新平の偉大な人間像が今になって初めて認識される様になった事は、彼の持つ強い精神的なものが国家、社会から見て必要なものであったと思います。後藤新平と私を繋ぐ根本的な精神的繋がりは、強い信仰、異なった宗教でも構わないのですが、強い信仰を持っていることでしょう。後藤新平は、私にとって偉大な精神的導きの師であると信じております。
 
  今度の旅は今までの旅の中で最高のものでした。

  日本に到着した翌日から、深川を訪れ、長い間期待していた「奥の細道」の旅を始めたわけです。今回の「奥の細道」の旅は、つくづく日本文化の特徴である日本人の生活に於ける自然との調和を実感させられた旅でした。

  惜むらくは、芭蕉の足跡を全部辿ることができず、深川・日光・仙台・松島・平泉・山寺・象潟(キサカタ)の諸地のみを廻り、新潟以後のコースは次に廻すことにしました。奥の細道の秀句を吟味しつつ、芭蕉歌枕の旅の目的を色々と考えてみました。芭蕉が松島を訪れて、そのあまりの美しさに句が詠めなかったそうですが、私は大胆に一句つくってみました。

  「松島や 光と影の まぶしかり」 如何でしょう?(松島に ローマンささやく 夏の海)

  これから、もっとゆっくりと俳句を中心に、日本文化について考えてみたいと思っております。

  秋田県では、中嶋嶺雄先生が学長をしておられる国際教養大学を視察し、学生とも面談が出来た上に、私の特別講義で「日本の教育と台湾-私の歩んだ道」をお話し出来たことは、この上もなく嬉しいことでした。

  若い大学生達に、私ははっきりと日本的教育によって得られた私の経験を伝えました。それは専門的教育以外に、教養として人間のあるべき姿、即ち「人間とは何ぞや」または「私は誰だ」という問題に答えが得られたこと、そしてこの問いに対して「私は私でない私」という人生の結論が得られたことです。これによって、私は自分なりの人生の価値観への理解と色々な問題へ直面した時にも、自我の思想を排除して、客観的立場で正確な解決方法を考える事が出来たのです。

  創立から幾年も経っていない国際教養大学が、既に日本の大学でも一番高い所にランク付けされている理由が、この度の訪問で分かりました。これからも頑張って国際上の優秀校になれることを願っています。
 
  六月七日は、朝早く靖国神社に、曽野綾子・三浦朱門夫妻にお伴してもらい、参拝する機会を得ました。六十二年間にわたる兄への思いと、その冥福を祈ることができたことは、一生忘れられません。その夜の「歓迎実行委員会」と「日本李登輝友の会日本総会」の共催による会では、「二〇〇七年及びその後の世界情勢」について、学術的講演を行いました。不透明な国際情勢について、私なりの研究を述べる機会が得られ、多数の有識者に聞いて頂いたことを無上の光栄に思っております。

  テーマは大きく世界・東アジア・両岸海峡の三つに分け、分析と予測を行い、最後に戦略的配置について話しました。世界の政治は三つの主軸に暫く集まるでしょう。

  第一は、二〇〇七年、ロシアと中国の世界政治に対する重要性は、米国がイスラム世界で巻き起こした衝突(世界の反テロ戦争)に劣りません。

  次は米国とイランは、イラクに於いて対立を起こしておりますが、双方共に一方的勝利を得ることなく、政治的解決に向かわしめる可能性を有しています。

  第三は、世界のリーダー国である米国の政治機能の麻痺、即ち外交ではイラク問題、内政ではブッシュ政権の弱体化が起こっています。この機に乗じて、ベネズエラからアジアに至る国々の中で、米国に挑発的な国が、より侵略的行動に出ると思われます。

  二〇〇七年の東アジアは、正に政治の一年になるでしょう。二〇〇七年は日本、韓国、台湾、フィリピン、豪州ともに選挙が行われ、中国、北朝鮮、ベトナムの三つの共産党国家も、この年に党内上層部人事の再調整が行われます。この為、二〇〇七年は、東アジア各国の内部権力が再分配され、これらの国々は外交ではなく、内部に力を注ぐ年となり、同時に準備と転換の年度となります。総じて、二〇〇七年は東アジアにおける国際政治は比較的安定した年となりますが、その安定した範囲にもちろん台湾海峡も含まれています。

  この様な趨勢には三つの重要な戦略的意義があります。第一に米国は一時的に東アジアにおける主導権を失います。この態勢を一変させるには、米国が新たな政治的周期に入るまで待たなければなりません。

  第二は、アジアの地縁政治が第二次世界大戦前の状態に戻ることを意味します。即ち、東アジアが、域内に限定された権力競争が繰り広げられ、その権力競争の主軸となるのが中国と日本なのです。
第三に、中国が二〇〇七~〇八年に、東アジアの戦略情勢を主導することになれば、二〇〇八年五月に就任する台湾の新しい総統が中国から一段と厳しい挑戦を受けることを暗示します。

二.旅行で感じたこと

  一昨年と今回の旅で、強く感じたのは、一つは日本が世界第二位の経済大国となり、民主的な平和国家として各国に尊敬を得ていることです。国民の努力と指導者の正確な指導に敬意を表したいと思います。

  もう一つは、日本文化の優れた伝統が、進歩した社会で失われていないと言うことです。敗戦の結果、堪え忍ぶしかなかった日本人は、経済一点張りの繁栄を求めることを余儀なくされましたが、伝統と文化を失いませんでした。

  様々な産業に於けるサービス、特に新幹線の車内サービスの充実ぶりには目を見張りました。戦前の日本人がもっていた真面目さや、細やかさがはっきり感じられました。

  「今の日本の若者はだめだ!」と言う声もありますが、日本人は戦前同様、美徳を保持しています。社会的な秩序が保たれ、公共の場で、最高のサービスを提供しています。ここまでできる国は国際的に見てもおそらく日本だけでしょう。更には戦後六十年の忍耐の時期を経て、アジアの一員としての自覚を持つようになりました。武士道精神に基づく日本文化の精神面、国家と個人の関係に、強いアイデンティティーがもてるよう、強く希望して止みません。

三.お礼の言葉

  十日間という短い期間に、これだけ沢山のことをすることが出来たことは、偏に日本の皆様方の温かなご支持の賜物であると思っております。以上簡単ですが、本日の歓迎の言葉と致します。 

  最後に皆様方の絶えざるご健康をお祈りいたします。ありがとうございました。