品格と価値

先生接見日本Forun-21第21期生訪台團講話

2008年7月11日(於淡水)

  私は旧い人、旧い思想の人、旧い時代の人間です。しかし日本では李登輝に興味を持っている人が少なくありません。その理由は、李登輝が口にし、著作にして反映する日本の伝統や日本人の教養の深さは、現在の日本では既に見られないからです。

  最近、私は英国留学から帰って来た孫娘と話を交わす時に発見したのですが、彼女の話を聞いていて、了解出来ないことがあるのです。

  私は常に、今の若い人に何を話したらよいかと考えています。

  彼らは何を欲しているのであろうか?どんな話をしたら、彼らが了解し、そして納得するのだろうか?と。

  私は一九二三年、丁度日本の大正時期に生まれました。日本が台湾を統治して、既に四分の一世紀に達し、日本教育が確実に私に深い影響を与えました。

  中国は五千年もの長い歴史があります。しかし、他の国に比べて、ほとんど進歩が遅れ、社会全体が立ち遅れているには、必ず理由があると思います。

  私は曾ての日本式エリート教育の方法は非常にすぐれていたと思います。教養を強く強調し、一専門学科の研究をしても、品格を重んじたことが鍵でした。歴史、哲学、芸術や科学技術各方面の学習によって、総合的な教養を養成し、進んでは国を愛し、人民を愛する心も備えなければなりません。これが即ち読書の価値です。

  青少年時代の私は、思考と読書をするのが好きでした。禅にも凝って、座禅を組んだり、また、当時の環境でも大量の東西文学、哲学書に接する機会がありました。例えば、十九世紀に英国の思想家、トーマス・カーライルの著作、「衣服哲学」や「英雄および英推崇拝論」は私の好きな作品でした。カントの「純粋理性批判」と「実践理性批判」は、今でも私の重要な判断の教えとなっております。

  新渡戸稲造の名著「武士道」は高等学校時代の私に、大きな影響を与えました。この書物によって、私は、私個人、或いは国家が危機存亡に直面した時、常に新たな認識を与えてくれました。又、生命の意義を検討し、如何にして価値のある生き方をすべきかを教えてくれました。

  武士道は日本精神であり、これが情緒と形という美を尊ぶ個人的生活で、日本の文化を構成しています。世界に稀なる日本文化の特長です。これは中国古代の哲学者「老子」が言っている、道の真髄を、日本人は生活の中に取り入れ、実行していることです。(道可道非常道)

  私の青年時代は、丁度日本で軍国主義的思想が流行していた時代でした。この時代背景は、意外にも私をして、意志力の強い、秩序を重んずる、国、公のために尽くす奉公精神を持つ人間に育てあげました。

  このような精神的な訓練に少なからざる影響を受けましたので、私はこれによって自制と克己の習慣を得ました。その後私が政治に携わる時には、あらゆる誘惑にも堪え、何事も起らずに済むことができました。

  私がこうしたことを特に強調する理由は、一個人の人間にとって、生涯発展の中では、必ず精神的な細かい事柄から始まり、だんだん大きなことにぶつかっていって、初めて自分を充実することができるのです。

  現在の若い人の学習気風は、何故か物質ばかり重視し、表面的な事柄にとらわれて、容易に抽象的概念や精神思考の能力を喪失することが多いことです。一旦重要な成長段階に入ると、もう内在の自我問題の修養はやれません。若い人の未来は国家の前途にかかっており、人々をしてその未来に関心を持たざるを得ません。

  それで私は、新しい時代でも、古い価値は絶対に棄てないように努力すべきだと主張しています。

  哲学者オルテガは「観念と信念」と言う著作において、われわれが所有している世界像の大部分は先祖から受け継いだものだが、それは人間の生の営みの中で、確固たる信念の体系として作用していると論じています。

  「人心不古」という言い伝えがあります。それは古の中に価値あるものとして永遠に残るものがあります。

  多くの人は十二年の間も総統の地位に就いた角度から私を見ています。或いは権力の最高峰に登った成功者として、私を定義しています。彼らは多かれ少なかれ、私が権謀術策を使ってこの地位を得たものと計算しています。こうした考え方は皆、功利主義的考えから出発したものです。

  私が皆さんに話したいことは、権力は私ではありません。権力は何か困難な問題や理想的計画を執行するための道具に過ぎません。

  それは一時的に人民から借りたもので、いつでも仕事が終われば返還すべきものです。「私は権力でない」と考えた主要目的は、人間は権力を手にした時、権力を振りまく快感に酔いしれて権力を弄ぶからです。私はそれをしないようにする為です。

  私から見れば、権力の最大価値は、我々を助けて問題を解決することにあります。それが故に十二年間の総統任期中、私が弱勢の総統から実権を掌握できた総統になるまで、私の最も重要な任務は、台湾の民主化を促進することであり、この立場は始まりから今に至るまで変わっておりません。

  私は人々に、「総統の任期を終えてずいぶんになりますが、現在あなたの関心は何ですか」と尋ねられることが良くあります。

  私がはっきりと言えることは、「現在台湾はまだ一つの正常国家ではない。もし台湾が本当の正常国家になったら、その時、私の任務は終わり、私は全てのことから離れる」ということです。

  最後に、私は重ね重ね若き人に申し上げることは、品格・教養・愛国・愛人民は、終生学習の科目です。金銭と権力は一時的なものに過ぎず、精神こそが一生怨ことなく奮闘して追求するべきものなのです。

  ご清聴ありがとうございました。