台湾の民主主義への道

National Press Club http://press.org/
2005.10.20

  本日、私は民主と自由を立国の精神に掲げる米国を訪れることができたことを非常に嬉しく思います。200余年前、皆さん方の祖先は危険を恐れず新大陸を求めてこの地に移住し、1776年に採択された「独立宣言」には、人類の生命と自由、幸福を追求する権利は剥奪されてはならないこと、政府の正当性はこうした基本的権利を基礎とし、国民の同意によって生まれるものであることを謳っています。われわれの祖先が台湾へやって来たときは「メイフラワー誓約書」のようなものはありませんでしたが、かれらの目的も同じように自由と幸福の追求でした。こうした台湾国民の自由と幸福への理想は、1989年に台湾が正式に民主化の時代に入って、ようやくその一歩を実現することができたのです。

  台湾の民主改革は、一つのサクセスストーリーであり、それ以前の経済奇跡とともに、国際社会から注目されています。民主化の過程において、私は国民党与党の指導者として、台湾の国民の声に耳を傾け、主流の民意を尊重し、それを改革の推進力としてきました。当時、与野党は競争関係にありましたが、野党だった民進党は改革を主張していたため、改革を推進する方向では協力していました。われわれは鋭意改革を進め、これにより権威主義は徐々に解体し、民主の道が大きく開かれました。1940年代に形成されたエスニック間の矛盾も、民主の深化とともに、次第に緩和されていきました。

  2000年に行われた総統選挙で、民進党の陳水扁氏が当選しました。しかし民進党は選挙に勝利しましたが、国会において「少数与党」の苦境に置かれ、政策は常に野党のボイコットを受けることになりました。また、民進党の施政経験は未熟で包容力も十分ではなかったため、与野党間で悪質な対立が生じ、エスニック間の矛盾も再燃してしまいました。残念なのは、新しい政治状況のもとで、エスニック間の矛盾に中国の統一戦線工作による国内の対立が加わり、国家アイデンティティーにおける衝突がもたらされたことです。このため、私は内部の矛盾を超えた民主の精神に基づく「新時代の台湾人」という概念を提言しました。

  1970年代中期に始まった世界における第三の民主化の波は、20世紀最後の10年間で、台湾に到達しました。われわれは第三の民主化の波の洗礼を受けた後、一滴の血も流さない「静かなる革命」を成し遂げました。社会の緊張や衝突は免れませんでしたが、台湾の民主の成果は、これをテーマに研究している政治学、国際関係論の専門家サミュエル・P・ハンチントン・ハーバード大学教授の目に留まるところとなりました。しかし、ハンチントン教授は当時、「第三の民主化の波は完全な民主国家の誕生には容易に結びつかなかった」と指摘しました。

  台湾の民主化における脅威はどこから来ているのでしょうか。台湾には、まだ一部に「反民主」のイデオロギーをもつ政党があり、これらの権威主義の残滓は権威体制下で築かれた既得権益を放棄しようとせず、権威主義の崩壊という事実を直視しようとせず、イデオロギーを掲げて国民を惑わし、国民の自由の選択を阻害しようとしています。これら反民主の勢力は、台湾ではまだ無視できない力をもっており、中国の独裁政権からも支持されているのです。台湾の対岸にある中国の独裁政権は、一日たりとも台湾併呑の野心を放棄したことはありません。かれらのやり口は、ミサイルで台湾を威嚇し、台湾国民を身動きできなくする従来の方式から、現在は経済利益を餌に台湾からの投資を引き付けるというように、若干の変化はあるものの、本質はまったく変わっていません。台湾は一日たりとも中国に統治されたことはなく、中国の独裁者は一日たりともこうした誘惑の手を緩めたことはありません。台湾内部のイデオロギーをかさにした反民主勢力は、中国の独裁者の野心と共鳴し、中国の支持を得て好き勝手に振る舞い、それはもはや留まるところを知りません。こうした内外の相互作用のもとに、台湾の国家アイデンティティーは次第に複雑で混乱したものとなりました。そしてこれこそが、台湾の民主における最大の脅威となっているのです。

  アジアの指導者のなかには、自由民主や個人の尊重を「西洋の価値観」とし、それと一線を画す「アジアの価値観」を強調する人がいます。アジアの伝統は、決して他にとってかわることはできず、そのことは一部の国の政治的な操作が証明しているように、いわゆる「アジアの価値観」は、最終的には一部の政治家によって人権剥奪の口実として利用され、完全な民主国家への発展を阻害するものとなっています。幸い、儒教の伝統は台湾に大きく影響しておらず、この問題はわれわれが民主化を進めるなかで、さほど大きな障害とはなっていません。現在台湾が完全な民主国家へ邁進するためには、まず国家アイデンティティーにおける対立を解消し、そのコンセンサスを確立することが必要です。

  さまざまな調査結果から、みずからは「台湾人」である、もしくは「台湾人」であることを否定しないとする国民の数はますます増えており、このことは台湾社会の民主における融和を物語っています。ただ残念なのは、有権者から淘汰された多くの政治家が、政治的手段を用いて社会の融和を引き裂き、国家アイデンティティーにその是非を問うていることです。かれらは、権威主義時代に用いられた強固な中華意識を利用し、すでに民主化された現代の台湾を覆そうとしているのです。今日、かれらの最大の支援者は、国内の有権者ではなく、中国の覇権の概念や軍事的威嚇、経済による統一戦線です。中国の国力はますます強まっており、こうした台湾に対する「トロイの木馬」的な攻略は、台湾の危機をさらに深めています。

  台湾国民がこの試練を克服するためにまず必要なのは、台湾に対するアイデンティティーを強化することです。詳細に観察すれば、台湾の国民が50年前とその後では、明らかに質的に変化していることがわかります。外来政権の洗脳のもと、多くの台湾の国民は何の疑問も持たず、自分は「中国人」であると認識していました。現在は、それが歴史と現実に合わないまったくの虚構であると考える国民はますます増えています。実際、20世紀最後の10年間における民主改革の過程において、われわれは「自分が何者なのか」「私たちは何者なのか」ということを自問してきました。ハンチントン教授は新著『WHO ARE WE』のなかで、多くの国々が自国のアイデンティティーの問題に直面しており、そのスタイルや中身は異なるものの、台湾が今まさに国家アイデンティティーの崩壊と再建に直面していることを指摘しています。

  哲学者・サルトルは「人間は自由である運命にあり、全世界の重みを自己の双肩に担っている。人間は、存在のしかたに関するかぎり、世界についても自己自身についても、責任がある」と説いています。つまり、サルトルは「存在するものは、将来それを超えてこそ意義がある」と教えています。ここまでお話して、私はカントの三大批判からなる哲学を思い起こさずにはいられません。カント哲学は「人類は自己の有限性を認識しなければならず、そうしてこそ自立と積極性を兼ね備えることができ、人生をより崇高で尊いものにできる」ことを教えてくれました。そして、思考を全体レベルに広げたとき、カントの言うように「そうしなければならないのは、あなたの主観が常に普遍的法則となっているからである」という非常に意味深い結論に達します。この命題を現代的に解釈したものが、国連が1966年に通過した「経済的、社会的および文化的権利に関する国際規約」と「市民的および政治的権利に関する国際規約」にほかなりません。台湾の国民はこれらの人権規約が定める国際スタンダードの実現に尽力しなければならず、このことは台湾国民自身と世界の文明に対する責任でもあるのです。

  新時代の台湾人は、これらの哲学的思考を持ち、積極的にこれを実践することが必要です。「私は私だけの私なのか」という出発点に立ち、新時代の台湾人一人ひとりが内部からそれを実践し、新しい生命のなかに「すべての価値の転換」を実施し、全体的視野で物事を考え、文明を刷新していかなければなりません。こうして形成された新時代の台湾人が、自由意思と公民意識を統合し、虚構で作られた過去の束縛から脱却し、民主の台湾に確固としたアイデンティティーを確立することは決して難しいことではないでしょう。これを新たに基礎としてはじめて、エスニックの矛盾を解決することができ、「反民主」の政治家による私利私欲に満ちた行為と、覇権主義的な中華大国による統一戦線工作の侵入を防ぐことができるのです。

  民主化の歩みのなかで台湾に対するアイデンティティーを確立することは、台湾の民主にとって最も効果的な保障となります。台湾は第三の民主化の波により民主国となった他の国々と同じように、近年、民主の挫折というスランプに陥りました。これは、台湾の民主化に関心のある人びとにとって、軽視できない問題です。今後、台湾が第三の民主化の波により民主の成果を勝ち取り民主をさらに深めるか、それとも後退の道を歩むかは、世界の民主価値が今後も拡大するか、あるいは縮小するかにかかっており、このことは民主国家がいかにして互いを支えあっていくかという問題でもあり、大きな関心を持つべきです。地政学の観点から言えば、台湾の民主の確立はアジア太平洋地域の民主ブロックの防衛線とつながっており、その防衛線がいったん崩されたなら、世界の民主と平和にも、崩壊の可能性がもたらされます。しかし、私は台湾の民主における脅威は致命的ではなく、われわれが民主の価値に対する自信を失わず、民主化の歩みが軌道から外れない限り、またわれわれの法治システムが健全に運用されている限り、二千三百万の国民が台湾へのアイデンティティーを当然であるとみなすようになると、楽観視しています。このとき、台湾の民主はより堅固な歩みをもって国家の正常化に向けて邁進し、最終的に一つの完全な民主国になるのです。