日本の一青年から受取った手紙
李登輝
一.まえおき
私は、長らく台湾の将来について、国の自主性を維持しつつ、産業構造の改善を主張して参りました。この構想はエネルギー再生を主要産業とする経済改革であり、また、研究目標でありました。
その為、エネルギー再生に関する新しい研究室を開発しました。研究室の重要な研究員として、日本から三人の学者を招聘する予定で、候補者に上った三人の方々を、台湾に招いて、研究室の見聞や環境を見てもらいました。三日間の短い時間でしたが、愉快で、有意義な滞在を終えて、日本に帰国しました。帰国後、間もなくその中の一人の若い青年から次にご紹介する丁寧なお手紙を受取りました。
七枚の便箋に、ぎっしりと、心を込めて書かれてある手紙を、私は繰り返し読み続け、感激で胸が一杯になり、この文章を皆さんにも、是非聞いて欲しいと思いました。
何が私をして、そうさせたのでしょうか。それは長らく私が日本の若い人々に告げたかったこと、そのままを、彼が彼の手紙に書き綴っていたからなのです。日本人の精神、日本文化の伝統、若き人の品格と価値を持つ若い青年を見たからです。
まず、彼の手紙を読んでから、詳しく説明しましょう。
二.手紙
李登輝 先生 謹啓
台湾にて閣下とご家族に拝謁できましたことは、至上の光栄でありました。奥方様も決して体調が優れない中、御臨席賜り恐縮の限りです。また、美しい坤儀様にお目通り叶いましたことも大きな喜びでありました。若輩たる私への過分な歓迎に心より御礼申し上げます。誠にありがとうございました。
先日、雪の降り積もる日本に戻って参りました。帰りの機中に於いても、高ぶる心を静めることができないほどに、素晴らしい時間を過ごさせて頂きました。見学させて頂きました研究室は、私の想像を遙かに凌駕し、正しく私の理想そのものでした。これまで、決して十分とは言えない環境で毎日を過ごしてきた私にとっては、あらゆる設備を備えた広大な実験室は、夢に思い描いていたような世界でした。一度でもこのような環境に身を置いてみたいと切望して参りました。何より、多くの方々の御支援が受けられることこそが、私が渇望してきたことであり、正に桃源郷と比すべき環境でありました。閣下より直々に台湾へ来るよう御言葉を頂戴し、直ちに台湾へ移り住み、自分の思うままに研究を進めてみたいという抑えきれない高揚感を感じました。然れども、日本に帰国した後、心を静めて熟慮した末、以下二点の事由から、此度の機会を辞退致したく申し上げます。
第一に、私はエネルギー再生を志す学生である前に、独りの日本人であります。常々、大学を卒業し、社会に出た暁には、日本の為に働きたいと考えてきました。確かに、研究面に於いては、エネルギー再生は国からの支援を受けることは出来ませんでした。しかしながら、大学に於いて学問を修めるに当たっては、日本国政府からの奨学金を受給して参りました。この奨学金は将来の日本への貢献を期待されて支給されたものです。
また、研究に於いて最も苦しかった時期には、幸運にして、民間の財団から、奨学金を受給することができました。この奨学基金もまた、資源に乏しい日本の立国とは、即ち技術立国に他ならないとの理念から、研究分野に関わらず、科学技術を志す学生に支援を続けてきたものです。私はこの奨学金を受給できたことで、エネルギー再生の研究を継続することができ、さらには、この奨学金を元に出席した国際学会に於いて、現在の指導教員に巡り会うことができ、今の大学へと進学する機会を得ました。現在、私が博士の学位を得ることができたのも、この奨学金のお陰であると考えています。従いまして、これまで受給してきた奨学金の恩に報いる為、その財団の高邁な志を実現すべく、日本の立国へ微力ながらも尽力したいと考えております。
また、奨学金のみならず、今日の私があるのは日本の社会、制度の賜物であると考えています。生活環境や、治安、福祉、経済的な豊かさなど、学問とは関係ない分野に於いて私が享受できた恩に対して、今後、科学技術の発展を通して報いていかなければなりません。その責務を果たさずして、直ちに台湾へ移り住むことは、いかに閣下の御意向と雖も、受諾することは叶いません。まずは、日本の為に我が微力を尽くし、その責務を果たした後に、再び閣下よりお声を掛けて頂く機会あらば、その時こそ、自分自身の望みに従って、エネルギー再生の進展に全霊を尽くしたいと存じます。
第二に、此度の研究環境は若輩たる私にとって、過分な待遇であると存じます。出資者の某先生より、出会いこそが運命を切り開いていくとの御言葉を頂きました。確かに、これまで十分な支援を受けることができず、もがき苦しんできた我々エネルギー再生関係者にとって、此度の出会いが、運命を大きく切り開く一大転機となることを確信しております。然れども、私にはこの邂逅が天命であるとはどうしても思えません。
エネルギー再生の研究者は、これまで皆無にほぼ等しい支援しか受けることができませんでした。しかし、そのような不遇の中にあって、この二十年間に多くの成果が積み重ねられたのは、偏に研究者の不断の努力によるものです。困窮する環境の中、学会を先導してこられた先生方が重ねてきた努力は、私には及びもつかないものです。エネルギー再生の研究を継続できず、職を追われた後、自ら資金を得て研究所を設立するべく、半導体基板の会社を起業した先生もおられます。既に一億円以上の資金を得て、研究所の設立へ邁進しておられます。
そもそも、私がエネルギー再生に身を投じたのは、現象そのものへの興味ばかりではなく、かような先人たちの堅忍不抜の高邁な志に胸を打たれたからに他なりません。先人が大変な苦労を重ね、現状を打破しようと暗中模索している最中に、私だけがそれを出し抜き、幸運を享受することは決してできません。
エネルギー再生に限らず、日本国内には必死に働きながらも、苦しい生活を強いられている方々が大勢おられます。このような方々は、私などよりも遙かに辛い現状に身を置いています。なんら苦労すること無しに、運のみで富と権力を得ることには大きな抵抗を感じています。
先般の奨学金を得て、現在の大学の先生に巡り会えた事例とは事なり、此度の出会いには、私の努力によって出会いが切り開かれたという必然性が存在せず、単に運によってのみ支配されています。また、私のような若輩では、与えられた厚遇に甘んじ、努力を怠り、次第に初志が薄れていくであろうと存じます。いずれ、私が何事かを成し遂げ、名をあげ、自らの実力によって、閣下に拝謁する機会あらば、その時こそ閣下の御支援を賜り、エネルギー再生の潮流にこの身を投じることが天命であると存じます。
今、この大空へ飛翔していく機を逸することは、私の人生にとって機を逸するのみならず、寧ろ大きく後退することは重々承知しております。今後、生涯を通じて、これほどの絶好機は二度と訪れないでしょう。然れども、私にとっては、人生の成功よりも、日本人としての誇りと志を堅持することこそが本懐であります。
某先生からは日本独特の思想が理解できないと伺いました。閣下に於かれましても、私の心の内を察することは難しいかと存じます。おそらくは、日本人の精神性に深く関係しているのかもしれません。
閣下の御意向に沿うことができず誠に申し訳ありません。何卒、私の心情を御理解頂きたく、御願い申し上げる次第です。今後、台湾に常駐することは叶いませんが、教授から受けた恩に報いる為にも、できうる限りの支援は惜しまない所存です。半年に一度か、一年に一度は、台湾の研究室を訪れ、実地に於いて協力することもあろうかと存じます。僅かながらも私の貢献が閣下の御希望を満たすものであれば、望外の喜びです。
若輩たる私に台湾に来るよう、閣下より直々にお言葉を頂戴しましたことは、生涯忘れません。今後、閣下のみならず、御家族、御関係者、また台湾国民の方々に対して、このご恩に報いていくことを、ここに堅く誓約致します。日台友好に微力ながらも尽くして参りたいと存じます。
此度の過分な歓迎は、誠に恐縮の限りです。僭越ながら、粗品を承知で此度の御礼に日本の飴を同封致します。末筆ながら、閣下の御健康と台湾の弥栄を祈念しております。
謹白
平成二十一年三月十二日
三.手紙を読んだ後の感想
この一通の手紙には、台湾訪問の状況とお礼が礼儀正しく述べられております。日本に於けるエネルギー再生の研究に、数々の困難と苦労がある中で、この若き青年はそれをよく突破して、かなりの成果を挙げています。彼の心には、日本と言う小国、その将来社会の人々、同じ研究に従事している先生、同僚への感謝が充分に述べられています。彼によって、表現される日本精神を述べてみましょう。
(一)日本の数千年にわたって、しっかりと根幹から支えてきた、気高い形而上的価値観や、道徳観を、彼は充分に持っていたことです。国家の将来に関心を払い、清貧に甘んじながら、人間として、どう生きるべきかを教えてくれました。
公に奉ずる精神を第一に、個人の栄誉を捨てる考え方は、日本人でなければ出来ないものです。
(二)自国の文化に対する貢献に、進歩と伝統が充分に表現されています。日本精神の本質としての公儀が良く現れています。
(三)人類社会は、好むと好まざるとにかかわらず、「グロバライゼーション」の時代に突入しております、この様な大状況の中で、ますます「私は何者であるか」と言うアイデンティティーが重要なファクターになってきています。この意味に於いて、日本精神の持つ道徳体系を、彼が持っていると言うことは、日本の将来は頼もしいものであると私は信じております。